耳はむ魚@可喜庵
佐草夏美さんとのデュオ4回目。東京都と神奈川県の境が複雑に入り組んでいる古民家。昨年も今頃に小金井公園内の古民家でソロがありました。その時は車の温度計40℃でしたが、本日は37℃です。過ごしやすい。
グーグルマップのカーナビで休日渋滞を刻々と回避しながら辿りつきます。早速に段取りリハーサル、全体の半分くらいをやってみました。ともかく今までと違うのは昼の光のなかで踊りがつぶさに見えることです。今まで3回はほとんど真っ暗で和蝋燭のみの明かりでした。良い・悪いの判断では有りませんが、視覚を使えると情報量は格段に増します。感覚を研ぎ澄ませて相手の様子を探るのは同じです。聾の方、盲の方とのsessionで1つの感覚が無くとも他の感覚で十二分にできることは習っています。そして音は「音」で伝えるものなのか?という最近のマイブームもあります。
そんな考えから、いつものように半眼微笑でボヤッと観ながらの演奏と、敢えて観ないでの演奏を交互にやってみました。
踊り-揺れる-水-触れる-皮膚-同期-音-振動などを試す絶好の機会でした。野口晴哉さんの思想・実践を長らく実践されている夏美さんはじっくりと今まで待っていてくれました。追われるように仕事をして、消耗し、消費して、身体までやられてしまう因果な私。それを全否定せず、なし崩しに来てしまいましたが、ドイツでの入院騒動はそんな甘い認識を払拭してくれました。一つ一つの仕事のありがたさや唯一性が身に染みます。(この感覚をゆめゆめ忘るべからず!!)
ここに来てやっとあらゆる「効果」から自由になることができつつあります。バーバー富士でのジャックsession、そしてこの可喜庵と私は弓1本のみで小道具を一切使いませんでした。効果は「自分」をそして「流れゆく時間」を疎外してしまう。効果で場を引っ張る必要があるときもまだ完全否定できませんが、だんだんこの方向へ行くような気がしています。
たゆたう時間とたゆたう水、揺れ、音は音を止めたときに始まり、ダンスの動きは止まったときに始まる、そんな瞬間が幾度となく訪れ 、庭で鳴き叫び、生を謳歌する蝉と大空を羽ばたく鳥たちの鳴き声と同期し会話をしながら時間が流れていきました。
ありがとうございました!