「待つ」ことはムズカシイことです。しかしジャックさんは本当に「待つ」ことができます。待つためには相手をそして自分を信じなければ成りません。そして待つ事は聴くことと同意です。「音」の語源は、占い用の祭器に入れた水の表面を神が揺らすのを待つこと、そして嘘をついたら針で罰を与えるということ(白川静さん)。音は出すものでも聴くものでもなく「待つ」もの「観る」ものでした。ジャン・サスポータスさん以外にこれほど「待てる」ヨーロッパ人は知りません。
演奏の現場(特に即興演奏の現場)で待つことは、勇気が要ります。一音も発することがないかもしれないのです。そこで「待つ」ことは、共演者に任せる・委ねる、さらに言えば共演者に本来は自分で表現するものを表現「させて」しまうことになります。共演者も自分の表現ではなく、待っている人の表現をするという責を負います。ここまでの話ができる共演者ならば即興の場は大変豊かになります。
初めて聴く琵琶と語りとかそけき息音に自分を「待つ」ことで「賭けた」ジャックさんは見事でした。
そして久保田晶子さんも十二分に共演者を演じました。本来1人での演奏が基本の琵琶奏者として、あらたな「発見」を重ねながら演奏を繰り広げ、物語を紡ぎ、息音と聞こえない囁きを、そして足音、さらには電動歯ブラシ(1分間に2万回の振動だそうです。)を使用。たゆたうべきアコースティック音響の中に異化効果として規則的な回転音を持ち込みました。琵琶を縦に横に水平に構えます。
おふたりの高揚し満足げな笑顔がすべてを物語っています。
今回の伝統楽器ゲストがみなさん芸術大学に関わっていました。しかし、このような自由な発想がなぜ伝統楽器の人からばかりでてくるのか、逆に言えば、西洋楽器の奏者は何百倍・何千倍もいるはずなのに、なかなかお目に掛からないのはなぜか?案外、大事で興味深いトピックかもしれません。
宮城道雄、沢井一恵、海童道、久田舜一郎(敬称略)など「異端」と言われる人が本当の「伝統」を繋いで行く。伝統は異端の点と点が結ばれている、と常々思っていますが、そのこととも関係しているのかもしれません。それでこそ根付いた(カルティベイト)した「文化・カルチャー」なのでしょう。そして「即興」は西洋から輸入・学習する外来文化ではない証左でしょう。
さて本日は西洋楽器サックスのかみむら泰一さんがゲストです。というか、今日は、本来、泰一さんが茶会記にもっていた日で、ジャックと私がツアー中ということで、ならば良い機会だからと、そこに参加させてもらったわけです。
昨日までの伝統楽器の音の記憶も生々しいままでサックスの音と共演するのは興味深いです。泰一さんが即興演奏に興味を持ったのは、ジャズの伝統と自分を相対化させるためだと理解しています。その意味でも本日もまたまた楽しみであります。
こんな湿気のある怠い梅雨の日、だからこそ、音が役に立ちます。音浴びに来てください。
7月22日(金)茶会記 ゲスト:かみむら泰一(サックス)
7月23日(土)Candy ゲスト:黒田鈴尊(尺八)