なすがままのソロリサイタル終了

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なすがママ(きゅうりがパパ)

「これは呆れた驚いた・何がなんだか判らない・これが幸福というものか・あなた任せのお大尽」

という1日でした。

13:30会場入り。スタッフ(と言っても日頃の共演者たちです)が荷物運びからやってくれます。

弾き始め。

エンドピン取り替え。

衣装到着(直前までシャツを縫っていたそうです。by I love youブランド 小野塚桂 )

1週間前のリハーサルに写真を撮りに来てくれた桂さんが、いつものように全く気にしない私の服装を見て、何とかせねばとシャツを自作(何回も洗うという作業を繰り返し、最後にボタン付け)ということになりました。特別な衣装など、生まれて初めての経験です。為されるがままの私です。なすがママ、きゅうりがパパなんてくっっだらないオヤジギャグでも言ってないと身が持ちません。

リハーサル中に前澤秀登さん写真撮影。照明の宇野敦子さんが舞台監督のように細々と気を遣って譜面台の位置や角度までやってくれます。私の体調担当の田辺さんが「弾きすぎないように」と再三注意してくれます。

録音開始。Office還暦のみなさんが録音を設定。十分予想されるライブでのミス・失敗を補うべく何曲か録っておけばという配慮です。キビシイ孤独にも耐えるように会場には誰もいない状態(録音の市村さんは三階)。なすがままです。

一時間以上、飛ばして弾き続けました。

その間に、だんだんと演奏曲が絞られて来ました。時間が問題です。考えてきた曲目を演奏するとコンサート想定の2倍の時間が掛かります。つまり、予定曲数を半分にしなければなりません。そういうこともこの予備録音をさせてもらえたために実感されました。

前日までなんとなく落ち着かずいました。それは、お任せ状態に慣れていないためかもしれません。人様がプロデュースしてくれるソロリサイタルという経験とリアリティが無かったからでしょう。そうか、これはいつもやっているライブとはちょっと違うのだとやっと実感として分かってきました。

長く演奏活動をしていると「平常心」とか言いながら、最近は、ある種の「諦観」のようなものが育っているようです。出来ることが出来るだけさ、という感じです。身の回りの知人の死、相次ぐ病気、年齢による体力・感覚力・技術の落ち込み、なんとなく感じる不安もプラス(マイナス?)されます。

しかし、プログラムが印刷されていたり、お花やワイン・お菓子の差し入れ、激励のお手紙多数、外国や地方からの聴衆、などなどライブとは大分違うのでした。早く気づけよ!ったく、です。

Office還暦は微に入り細に入り気を使ってくれます。日頃、こうやってスタッフに欲しいな~と思っていることを実践している感じなのかもしれませんね。開場前のお弁当まで凝っていてシンガポールもの・沖縄ものから選べます。みんなで弁当を囲んでおしゃべり。それにしてもこんなに大勢の共演者に囲まれながらソロをやるなんて「何か変?」です。

わたくしといたしましては、当然のごとく、なにも、特別なことをするわけでも、出来るわけでもありません。

緊張することも無く、上がることも無く、平常心が常態になってしまっているツラの皮の厚い鈍感な私ですが、その分、こういう特別な舞台では、望外に良いこともあります。

なすがままですので、まわりの様子がそのまま演奏に反映するのです。イタコ体質の私は、スタッフ・聴衆のみなさまの願いを請け負って演奏するのでしょう。まわりが特別だと、特別な演奏ができてしまうのです。今回は、自分で演奏したという記憶が全く有りません。演奏曲目・曲順さえもうろ覚えです。何をどう演奏したか関知していない感じ。

それは、自分を越えるチャンスなのです。どうしようもなく諦観にやられそうなとき、それを克服してくれる大チャンスです。

特に技術的な特性を持っていなくても、子供の時から楽器を始めて無くても、今まで演奏を続けることが出来たのは、このイタコ能力のお蔭さまかもしれません。あるいは、自分をそのような人間として「演出」して成りきってしまう能力。

自然にその場で変更した点がいくつもあります。「即興」だけの時間も持ちたいと決めていましたが、曲をやっている間も全部「即興」なので、特に即興だけの時間を持つ必要は無く(人生はすべて即興なのだから、即興などやる必要は無いという土方さんのコトバ)、第1部では省きました。

私にとって技巧的に挑戦的なものもいくつも省きました(省いていました。)それは暗に自慢したかっただけかも知れません。逆に省いたはずのショーロを復活させていたり、トリの曲(最終曲)としてに大事に取って置いたバッハ6番プレリュードがあろうことか開始すぐに破綻。生まれて初めての経験でした。

コンサート前の録音で2回余裕で録っていて、エアジンでもできていて、しかも私の創意工夫がちょっと自慢だった曲なのです。その自慢こそがこの空間・時間・人々全体に反対・排除されたのでしょう。早々に諦め、聴衆・スタッフに詫びを入れ、インプロをやりました。ここで全てが変わりました。いろいろな意匠を込めた40年間の披瀝・思い出話・自慢話に「浸るのではない!」という教え・「裸の今をやらんかい!」という天啓・お叱りだったと現在は解釈しています。

暦が還った0歳児として、イタコ体質を磨き、自分を投げ出し、自己表現に囚われず、すべてを受け入れ、残された時間を精進せよとの教えを頂きました。ありがとうございました!

打ち上げも済んで帰ろうとしたときにタイラー・イートン(ベーシスト、マーク・ドレッサーの弟子)が現れました。そんなさまざまな奇跡が自然に起こっているのです。奇跡でも何でも無く、人生は奇跡に満ちているのでしょう!

さすがに疲れていたのか、高速の出口を2つ通り過ぎ、遠回りして帰りました。

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