ピアソラはタンゴを作れば良かった、ジョビンはサンバを作れば良かった、ミンガスはジャズを、ブレルはシャンソンを、パコはフラメンコを作れば良かった。
では、日本で生まれたものは何を作れば良いのか?演歌・民謡?・・・バカな。
苦し紛れに言うなら、タンゴもサンバもジャズもシャンソンもフラメンコも同じように愛し、関わることなのかもしれません。その関わり方にこそ何かオリジナルなものがあるのではないでしょうか?
そこに意味があるかどうかは別として、それは、ピアソラにもジョビンにもミンガスにもブレルにもパコにもできなかったことです。
日本のピアソラと呼ばれ、日本のジョビンと呼ばれ、日本のミンガスと呼ばれ・・・は最早、存在価値がなくなってしまいました。溢れかえる情報の中で、いったいどう生きていけば良いのでしょう?
昨日はサックスのかみむら泰一さんとのデュオ・ライブ録音でした。ジャズの「本場」アメリカでデューイ・レッドマンに師事、当然のようにジャズ業界で生きていくと思われていましたが、何の拍子かインプロに惹かれて行きました。
彼のジェントルな性格から見て、所謂ジャズの法則である「ソロ・サイドメン」という分離は馴染まなかったのかも知れません。全員同格の音楽アンサンブルとしては「デキシーランドジャズ」や「インプロビゼーション」があります。そしてブラジルのショーロもその色を濃く残しています。彼がショーロに惹かれて行ったのは、共演者・聴衆との対等な関係を持ちたかったのかもしれません。
彼のように「ジャズ」からインプロへ来た人は、ロックからインプロに来た人とともに、フリージャズからインプロに行った人と明らかに違います。そこが特徴であり、魅力になりうると想像します。
ショーロを演奏し、オリジナルを演奏し、インプロを演奏する、それを一晩のLIVEの中に自然に溶け合わせて行くのは彼の特徴が良い様に展開したすぐれた成果でした。
共演をしてきた過程で彼は音色の追求をどんどん進めました。奏法だけでなく楽器・リードの研究も進めました。同時に身体性・呼吸を考え演奏に取り入れ始めました。ミラーニューロン、半眼微笑を考えました。
ひとつの通過点としての良い録音が出来ました。ヨカッタヨカッタ。録音の市村隼人さんもご苦労様でした。
どんどん先へ歩を進めて行きましょう!