湯河原の本当に美しい家族。
その中心に居た太陽がお隠れになったお別れ会でした。
最愛の連れ合い様は9年前に先に行っていたので今頃再会を大いに歓んでいらっしゃるはずです。
いなくなってしまったのは本当に哀しいのですが、なぜか実に清々しい会でした。
本来のユーモア(ヒューマン・人間性)というものはこういうことなのでしょうか。
参列者全員が共有した特別な感覚でした。歌に微笑みに花に溢れていました。
ちゃんと生き抜いた人に許された無限のgiveなのでしょう。
私はうたをさがしてトリオツアーでちょうど1ヶ月前にここで演奏をし、せっちゃんにも聴いていただきました。(ご本人は大変な思いであったでしょう。)
40年近く私の音楽を応援していただきました。
40年前なんてどう考えてもヒドい音だったでしょう。ホント。
彼ら美しき人達は事実なんてどうでも良いのです。
事実からは遠くても美しい真実を感じてそれを事実にしてしまうのです。
参列者が花をお棺に納めている間、私はリディアン旋法を弾き、せっちゃんの好きだったというアランフェスを差し挟みました。お孫さんご夫婦が自然に踊り出しました。
翌日は庄﨑隆志さんとのEテレ「みんなの手話」でのコント収録でした。完全に宮沢賢治になってしまった庄﨑さんは大きなトランクをもって銀河鉄道に乗っています。わたしはなんとも怪しい車掌です。ホンモノの車掌帽子をかぶり、両手に銀と黒の切符切り(ホンモノです)をカチャカチャいわせてサンバを踊りながら賢治さんに近づき切符を切ります。そのままサンバを踊りながらベースを持ち、銀河鉄道の汽車の音を出し、汽笛をならし(いつものあんま笛です)「雨ニモマケズ」の美しい手話に合わせて「ダナイード」を演奏しました。途中間奏のところでは「風の踊り」を演奏。放映は4月の予定です。
帰りに稲毛Candyに寄り、ベースをお貸ししているウラジミルさんたちの演奏Free Trees Trioを聴きました。弦をジャズでよく使うスピロコアに張り替えてハツラツとした演奏をしていました。私はこの楽器「雅」では2回しか人前で演奏していませんが、彼はもう10回くらいやっています。彼の楽器になっていました。ハイ。それで良いのです。すべては音楽のため、世のためです。29日からの私のソウルでの演奏に使うために27日演奏後にお返し願うことになっています。28,29日の彼の演奏(キッド、エアジン)は弦楽器工房高崎さんの好意でベースを借りることになっています。ありがとうございます。
ちょっと大人になった気分の2日間でした。