なってるハウス ジャズの顛末

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私にとってのジャズはミンガス、エリントンに代表されます。ピアソラの作品集はCD2枚作ったのに、ミンガス集、エリントン集は作っていません。無意識の理由があるのだと思います。

ジャズのブルース感、4ビートが私の身体に無いことが分かったのはキャリアのごく初期でした。そのため、とりあえずフリーに行き、インプロに行きました。高柳さんとのデュオではモンクやベシェを取り上げたこともありました。まさにジャズ。富樫さんもジャズであり、ラテンもありました。

私がどんなにミンガスをやってもエリントンをやっても納得行く演奏はできず、ジャズ風のオリジナル曲をやったりもしました。(小山彰太・林栄一さんと何枚かあります)。それはちょうどクラシック音楽と似ています。クラシック音楽も多少の現代音楽も勉強しましたが、なかなか人前でやり続ける気はしませんでした。(バッハを唯一の例外として)

いっぽう、ピアソラやタンゴ、ブラジルやアルゼンチン、韓国音楽は心や骨や内臓に疼くもの・響くものがあり演奏を続けることができました。

そんなことを考えながら本日やってみようと思います。

ミンガスのこの詩はマーチン・ニーメラーのコトバを元にしています。昨今の状況と重なります。

Don’t Let It Happen HereBy Charles Mingus

One day they came and they took the communists, And I said nothing because I was not a communist.

One day they burned down the Catholic churches. And I said nothing because I was born a Protestant.

One day they came and they took the unionists, And I said nothing because I was not a unionist.

One day they came and they took the people of the Jewish faith, And I said nothing because I was had no faith left.

Then one day they came and they took me. And I could say nothing because I was guilty as they were, For not speaking out and saying that we all have a right to freedom.

Oh Lord, don’t let it happen hereOh Lord, don’t let it happen hereOh Lord, don’t let it happen hereOh Lord, don’t let it happen here

Yes I was guilty, as guilty as they wereFor not speaking out and saying that we all have a right to freedom.So don’t Let it Happen

ニーメラーはこれらの単語を
共産主義者、社会主義者(社会民主主義者)、労働組合員、ユダヤ人、障害者、カトリック教会、エホバの証人、都市労働者などに置き換えたりもしていたそうです。

 

そして実施後のFB投稿が↓

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思えば私はジャズから遠くへきていました。
少しは危惧していましたが、あたりまえと思っていたことがあたりまえではアリマセンでした。
ひとえに私がそこにいるのが不自然なだけです。

コルトレーンバンドでのジミー・ギャリソンの音が聞こえるのがベース無伴奏ソロだけになり脱退、セシル・テイラーや山下洋輔のグループからベースがいなくなり、トニー・ウイリアムスの登場でアコースティックジャズの限界まで達し、結果、電化したマイルスグループではエレキ・ベースになりました。一方、聴こえる音だけで演奏していくフリージャズではコントラバス奏者が高音の弓弾きばかりになり、キーキーとヒステリックに鳴きました。あれ、これだったらチェロやバイオリンにしたほうが良いんじゃない?と多くの人が思ったでしょう。

真空管アンプでブーストした豊かなエレベの音で無く、オーディオ的にも酷いアンプリフィケーションされたコントラバス音が溢れ・・・という「歴史」は忘れてはいけないのです。「Spiritual Unity」(アイラートリオ)のベース音はライブ現場で聴くことはできない「レコード芸術」なのです。強者は弱者を忘れがちです。アイラーグループのベースは高音弓弾き(聞こえる音)だけになり、エレベに代わりました。高柳昌行さんは井野信義さんのベースをエレクトリックコントラバスと呼んでいました。

ひっきりなしに鳴るシンバル(元はトルコ軍楽隊マーチ)、スネアドラムの響き線の持続ノイズは無音を消し、コントラバスの倍音を吸い取っていきます。かつてヨーロッパで、スネア(響き線、邦楽で言う「さわり」)は人の情動を煽るということで禁止されたとも聞いています。シンバル・スネア共に人の気持ちを煽る装置なのです。無音部分が無くなるとヒトは客観的に・相対的になる契機を奪われます。シンバルにシズルをつけて持続音を長くする奏者もいるのです。スポーツ選手が試合前にイヤホーンで大音量の音楽を聴いているのは、思考停止に効果があるからです。

一方、ごく普通のドラムセットで、こちらがアンプを使わなくても、十分に聴き合え、演奏し合える奏者もいます。(ロジャー・ターナーさん、山本達久さん、橋本学さんなどなど)また、ジョン・パティトゥッチやゲイリー・ピーコックのように潤沢な音響機材・優秀な音響スタッフがいれば話は別なのでしょう。

レ・クアン・ニンのバスドラム水平置き奏法が画期的なのは、彼がスティックで「叩く」ことを止め、「こすった」音を中心に多彩な打楽器演奏を繰り広げたことです。持続する音を少なくして無音の状態を復活させることで、アコースティックのインプロでの他奏者とのコミュニケーションを飛躍的に拡大させました。ダイナミックスも(無音から始まる)大きく拡大しています。また他の楽器との音色・音質の近似性も実現させ、打楽器が他の楽器といろいろな次元で対等な土俵にのったのです。

本当に多くのインプロ系打楽器奏者が彼の奏法を参考にしているのが彼の奏法の革命性の何よりの証拠でしょう。「インプロ」の特徴は各奏者の平等・無音の重視です。ソロ(自己表現)・スターシステムの呪縛から解放され、強いものが勝つという法則からの逸脱。

低い音が必要なだけならエレキ・ベースに代われば良いのです。ただそれだけのこと。私の好きなジャズミュージシャン達は皆コントラバスの音質に敏感でした。(ジミー・ジュフリー、アンドリュー・ヒル、エリントン、モンク、ドルフィ・・・)超高域までの倍音を含み、複雑な倍音成分は、無音に対してこそその音質が際立ち、ピアニシモでフォルテシモを表すことが出来るのです。できればそこまで待ってちょーだい。

黙っているのが怖いがごとくに音数で空間を埋め、埋めるテクニックのスピード感や閃きで評価され、音の洪水のなかに陶酔していくのも良いでしょう。カタルシスで浮き世の憂さを流すのも必要でしょう。パチンコ屋はうるさくなくてはいけないし、暴走族はマフラーを外さなければいけないのです。よくわかります。管楽器は絶叫して下さい。心が晴れます。ただ私がそこにいる必要が無いだけです。突発性難聴を患ってからはなおさらそう思います。

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