机の下のラブレター パフォーマンス終了

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机の下のラブレター 終了しました。

このところ「決めごと」の多い演奏が続いていたためでしょうか、今回の「感覚全開・何でもあり」は久しぶりの感覚でした。しかも、どんどんどんどん行けば行くほど場に合うのです。違う細胞が息づき高揚しました。

1時間強ぶっ通しで佐藤万絵子さんと対峙するわけですから、少しでも気を緩めたりしたら万絵子タイフーンに吹き飛ばされてしまいます。わざとアブナイ方向に持っていたりしながら、心身共に十分に歓んで1時間を過ごしました。

ちょっと「気取った」感じさえあるアサヒアートスクエアがオモチャ箱をひっくり返したようになっています。あるいは雑然とした廃墟のような空間に変容しています。昨今の空爆・原発が頭をかすめないわけがない。やっと存立して残ったような大きな窓も設えてあり、あたかも教会の跡のようです。(もともとアサヒアートスクエアには窓がありません。)

ともかく、あらゆる戦略や策略は無駄ですので、平常心で、ミラー・ニューロンと半眼微笑を忘れないようにして、臨みました。万絵子さんの表現は「自分のため」「めだちたい」という要素が見事になく、捧げ物に近いため、途中でバッハが出てきたりしました。実際の窓があって外光が燦々と入って来ていればオモチャ箱なのですが、閉ざされたビルの暗い空間だと廃墟にも見えてしまうのです。

「音楽は音楽が終わったときに始まる」という最近のマイブームも何回か実践。お互いが決して動かず、演奏せず、描かずという長い時間も2回ありました。実際の音も絵も線も全くないのですが、もの凄いテンションのもの凄いフォルテッシモでした。横に流れているはずの時間が停まり、縦に深く深く刻み込んで行く、穿っていく感じでした。精神的にも肉体的にもとても試される瞬間でした。色も振動、音も振動、とおっしゃっていた空中散歩館の大成瓢吉さん振動体シリーズも頭をかすめました。

私はこのところ1ヶ月くらい美術関連での演奏が続いています。(明日も、つくばアートセンターでの「うたをさがしてトリオツアーラスト」、15日はポレポレ坐で小林裕児さんとの読み語り・宮沢賢治作「土神と狐」。山の上ギャラリーでの上演を観て、小林さんご自身も関わりたくなったということで参加されます。どんなカタチでの参加かは未定。)

ごくごく大ざっぱに、偏った意見を言います。美術と音楽の人の違い。美術は(演劇も)そう簡単にはお金にならない。その分、理想や志をキープできる。一方、音楽はちょっとで「日銭」が稼げ、ビッグネームについていけば何とかなる確立が高まる。その分、一見反権力でも実は日和見、風見鶏的になりがち。芸能界寄りの仕事を照れながらも自慢したり・・・即興演奏が良い点は「そう簡単にはお金にならない」あるいは、「資本主義に相容れない」ため?

ともあれ、いろいろ考えるきっかけをいただき、なおかつ、身体とココロのリフレッシュができました。ありがとうございました!

なお、会場はどんどん変容していく進行形の企画です。
本日から公開されます。何回か訪れると面白いと思います。https://www.facebook.com/events/324495701054185/

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