うたをさがしてトリオ西日本ツアー初日 彦根 ギャラリーコジマ
12月13日
彦根は名古屋から案外近いので、厚木からの高速道路は楽ちんでした。琵琶湖を臨むかんぽの湯でグッと暖まり、投宿先の西覚寺へぽっかぽかで到着しました。
七つのピアソラ千恵の輪トリオ(ジャン・サスポータス、オリヴィエ・マヌーリ、徹)で本堂で演奏、以後、演奏が無くても泊めていただいたこともあり(その時に「西覚寺」を作曲しました。)とても有り難いところです。ご住職・奥様ともに世の中への関心・好奇心を保ちながらも仏教の研究に余念が無い大変立派な方々で、近くに居るだけで良いオーラを浴びることができます。
翌日主催してくださる鉄の美術家・茗荷恭介さん・場所を提供してくださるギャラリーコジマさんもいらっしゃり、豆乳鍋をいただきました。湯葉から始まりきりたんぽで締める豪華な流れ。こうなってはワインやウイスキーは合いません。日本酒をいただきました。こういう和気あいあいとした時間やちょっとした会話が翌日の内容に少なからず影響します。有り難き幸せです。
茗荷さんはいつも穏やかな雰囲気であらゆる方面の知識が豊富。私よりも少し年上。美大時代が学生運動華やかな時。一旦は美術を止め、なんと音楽プロデュースを何年かなさっていました。アメリカでミルフォード・グレイブス(打楽器)さんに会い、「こんなに必死に音楽を追求している人がいる」と共感。インプロビゼーション・フリージャズのプロデュースをしていたとのこと。その頃はお会いしていません。その経験が以後の作家活動に大変役に立ったとおっしゃいます。琵琶湖岸のアトリエの自作スピーカーには当時のポスター(デレク・ベイリーとミッシャ・メンゲルベルクICPオーケストラ)が貼ってありました。
鉄を使った造形作品が専門、学生時代から「鉄を使う作品は匿名性があり署名しないところが良い」というお考えで自由自在に多種の作品を造っていらっしゃいます。そのあたりも音楽と共通する何かがあるように思います。ただし、自由自在と言ってもなにしろ鉄ですので、一つ一つの作業が途方も無い時間と力が必要です。
彦根のかつての恵比須講はそれはそれは大賑わいだったそうです。琵琶湖を渡って多くの人が正月用品を求めて訪れ、彦根銀座は年末のアメ横のような押すな押すなの賑わいで、両側に3階〜4階建ての立派なビルが林立しています。いろいろな文化が流れてきて混じり合った百花繚乱するような街だったのだと想像します。10以上ある商店街にはコンビニやチェーン店がほとんどありません。今どきスゴいことでしょう。
その銀座商店街中、琵琶湖からほど近いところにギャラリーコジマがあり、階上の大きなスペースがライブ会場になります。すでに茗荷さんの作品が階段でお客様をお迎えするように設置、会場正面には大きな蓮の花のような照明にもなる作品が設置されています。
1日遅れで当日鉄路で来た直毅さんを駅に迎え、会場に入ります。私はだらしない上にやることが多く、運転も含め、すでに容量オーバーでいつものように楽譜が見つからなかったりしましたが、じゅんこさん・直毅さんの手助けで初日が無事に開けました。毎回、その場所に合った選曲をしたいと思っているので、お二人の力にずっと支えられました。
この日のスペシャルは「西覚寺」「最上川舟唄」「Apanhei-te,Cavaquinho」でした。「西覚寺」「最上川舟唄」は以後のLIVEでもカタチを変えて出てきました。すべてが関連しているのですね。そして私にとって意外だったのは「ふりかえるまなざし」がいつのまにかトリオの最後の曲として定着していることでした。友人への追悼で作った曲がトリの曲になるとは思いもしませんでした。