なってるハウスセッション

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どういうプロセスで通じるのだろう?という疑問は、無意味。ともかく通じるのです。聾の方とミュージシャンの関係のことです。通じているとしか思えないのです。通じていると言うのは何なのだろうという問いが新たな意匠で迫ってきます。

雫境(ダケイ)さんとのセッション@なってるハウスでした。かみむら泰一さんが企画立案。身体性に興味を持ったかみむらさんならでは企画でした。

泰一さんとはショーロや即興・ジャズをやってきました。だんだんとそう言ったジャンルが問題にならなくなってきました。その良い例が、今回のセッション。ショーロの曲に雫境さんに踊ってもらったりもしたのです。静謐な雫境さんの動きという暗黙の了解事項を完全に無視。サンバのリズムを雫境さんにぶつけたのです。なかなか勇気が要ります。

それが功を奏しました。雫境さんが本当にサンバを踊りました。聞こえていないはずなのに・・・舞踏という美学を無視してご自身のサンバを踊りました。本当にヨカッタですし、それを企てた泰一さんの先見の明でしょう。

聞こえない、ということをとりあえず考えずにセッションに臨むことが大事なのでしょう。特別なのですが、特別ではないのです。それは、矢萩竜太郎さんとのセッションも同じです。彼も特別なのですが、特別ではないのです。逆の言い方をすれば「特別」ではないのですが、「特別」なのです。この感じが泰一さんとも共有できたのでしょう。2日前に2人の聾の役者とダウン症の矢萩竜太郎さんとのセッションをエアジンで私と一緒に行い、進境著しくすばらしい演奏をした泰一さんなのです。

もったいを付けてインプロセッションに臨むのでは時間がモッタイナイのです。直球勝負しかないのです。そんなに残された時間はありません。すべてギリギリの勝負です。

聾の人々は皆、静寂の中で居るわけではなく、もの凄いノイズの中にいる方もいらっしゃると聞いています。雫境さんは静寂がよく似合いますが、その静寂はノイズに支えられているのでしょう。静寂が深まれば深まるほど、対するノイズもすごさを増しているのかもしれません。

いろいろな意味で発見に満ちた良いセッションでした。

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