どっこい生きているjazz

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どっこい生きている「jazz」

かつて、新しく、面白い音楽を提供してきた多くがジャズ系のミュージシャンでした。音楽理論をわかり、世の中の動きを捉え、ときに反権力、ユーモア大好き、大衆文化、弱者の気持ちを理解出来るという面が良いように作用したからでしょう。

時代は変わってジャズ自身の発展が収束、ロックやポピュラー音楽に圧倒的に押されてしまいました。そんな中で出てきたのが喜多直毅さんやさとうじゅんこさん、喜多直毅カルテットのメンバーなど、ジャズを一切通過していない音楽家達です。

多くが、著名音楽大学を卒業しています。しかし、クラシック音楽もジャズ同様に世の中と共に発展していくという役割を終えて久しく、世の尊敬や要望から切り離され(職も無く)てしまっているわけです。

フリージャズが黒人の人権問題とともに隆盛し、ヨーロッパ人、アジア人、アフリカ人演奏家個人個人のルーツ探しという側面を残しながら進んできました。クラシック音楽も同じ傾向をもっていました。作曲家が自らの土地・風土・文化を押し出しています。

ジャズを通過していない多くの演奏家が生まれ、さまざまな情報からそれぞれのレパートリーを拡大してきました。うたをさがしてトリオもまさにその傾向にあります。

チャーリー・パーカーがジャズから歌と踊りを分離させた、という言い方があります。モダンジャズの複雑な和音を分解して目もくらます速度でアドリブフレーズを出し続ける。次が予想できる安定したものではなくなります。だれもドミソでは、複雑な気持ちを表すことができにくいと感じました。それはクラシック音楽もタンゴも似た傾向がありました。

即興音楽は、曲の準備をしないわけですのでいきおいその人の民族性・ミームなどが出ます。伝統音楽が持つ即興性と深くリンクしていくのもごく自然の流れでしょう。

しかし、しかし、ジャズはごく短期間の歴史の中で、めくるめく多くの天才達を生み、すばらしい音楽を残しました。そこを栄養源(出自)として育つ演奏家はまだまだ多くいるはずです。

類家心平さん(TP)とデュオの企画を持ち込まれて演奏してきました。音楽に選ばれ、トランペットに選ばれた(選ばれてしまった)すばらしき若者でした。そして、どっこい生きているjazzでした。ジャズから出発して自由に大きく世の中を見渡し飛び立つことも当然できるわけです。最近共演を重ねているかみむら泰一さんも、関西の有本羅人さんも、その多くの中の一人でしょう。

私も昨今、ジミー・ジュフリー再発見、エリントン、ミンガス溺愛、サードストリーム再評価、などジャズを聴くことも増えてきました。

第1部には主催である鈴木ちほさん(バンドネオン)も加わりました。バンドネオンという楽器で即興を目指すという大変ユニークな存在です。アルゼンチンにも居ないでしょう。そして類家さん・わたしの共演を丁寧に創ってくれました。プロデュースと演奏を同価値に考えることも大事で希有なことです。

どこの出身でも構いません。おもいっきり好きなことをしましょう。その前提として本当に「すき」なことを見つけましょう。本当に「好き」になることのできるものには嘘は無く、生涯を通じて探求する価値のあるもののはずです。

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