沖縄2

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翌朝、沖縄料理満載の朝食を済ませ、翁長さんと待ち合わせアタカーバル見学およびご挨拶に行きました。国際通り近くのホテルから歩いて10分以内の楚辺というところにあります。200〜400年の歴史を持つお墓群です。こちらのお墓は立地条件の良いところ(日当たりが良い)にあります。そして一度も爆弾や銃の被害に遭っていないという希有な墓地です。そして家族ごとに皆が集まり宴会をする広さがあります。そしてその中に防空壕を作って隠れたと言います。防空壕からみた空は青かったでしょうし、蚊や虫、暑さ、湿気はさぞやと思われます。

なにしろ400年の歴史が有りますので、ガジュマルのすごさは格別です。翁長家の墓に明日のことを報告し、宜しくお願いしますと、お金に見立てた黄色い折り紙を捧げ、燃やします。この習慣は台湾文化圏である証拠とのこと。

さて、美酉さんがなぜこの演奏を思いついたかというと、祖先たちにも聴かせるということと共に、もう一つ大きな理由がありました。なにしろ街の中心から徒歩10分以内、かつ、日当たりが良い、広大な敷地な訳です。拝金主義の人達が黙っているわけはありません。いままでも何回も「再開発」という名の破壊工作があったのですがその度毎に皆で退けてきたそうです。しかし、昨今の潮流はそれさえも飲み込んで「だってしかたないじゃない」というなし崩しの勢いがあります。人々も無力感と諦観に襲われます。

「再開発」のための「調査」が始まってしまうともうアカンということです。基地建設・原発建設と同じに見えます。今回も地主がわからない墓地に立て看板が立っていて「申し出て」くれということ。そして、本番の日には測量の技師が二人入っていました。もう音を立てて事が進んでいるのです。

ともかく、翌日演奏する場所にも丁重に挨拶して、昼食を台湾系野菜中心バイキング(金壺)、ホテルで一休み。

チャイハナへ移動します。ここも同じ「再開発」のためにビルにすることになり、9月いっぱいで閉めるとのこと。この2日間にLIVEは「再開発」で繋がっているのでした。再開発には本土からの助成金が大いに関係しています。

今回のLIVEのタイトルを求められて「トラベシア」を提案・採択されました。もちろんミルトン・ナシメントのトラベシアです。

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トラベシア

私は確かなものをつかもうと幾千もの橋を渡ってきました。
蜘蛛の巣のような鋼鉄の吊り橋もあったし、木でできたちゃちなものもありました。
石でできたものもありました。
わたしはいつでも「よそもの」であり、孤独でした。
明日に繋がる橋、
過去からの橋、
哀しみでできた橋(長く続かないように願う)
天空にある色でできた橋
私たちの愛でできた橋だってあるはず。
川の向こう岸の遠くに彼女が見えます。
私がかつてやったように、彼女は願いを込めて手を差し伸べています。
橋があると信じる場所を教えようと彼女に声をかけます。
私は見つけるでしょう。
そう、私は見つけるのです。
私が死ぬまで探し続ければ・・・
私たちの間に橋があるならば、怖れるものはない。
太陽の下、駆けよって途中で会えます。
天空にある色でできた橋
愛でできた橋がどこかにあると固く信じています。

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さあ、トラベシアミッション開始です。
チャイハナマスターそして照屋義彦さんと再会、「そんちょう」と初めまして。

私と沖縄の関係は照屋義彦さんの劇団「衝波」で始まっています。ビンビンに張り詰めていてなにしろ怖い印象の19年前からはお互いに歳を重ねました。今回は平田さんの提案で照屋さんのアルトー朗読、そんちょう(トランペット)も参加ということ。照屋さんはいろいろな意味で準備はできています。アルトーの録音もペヨトル工房版を持っているそうです。私にしてもいままでの経緯、アルトーフェスに出演もし、アスベスト館でも講師をしたりしました。そんちょうは20代、いろいろな意味で共有部分はごく少ない訳です。そんなお互いの無理難題もともかくやってみるということでリハーサル開始。照屋さんはさすが演劇人らしく土方巽の朗読からのインスパイアされた東北弁やヒットラーの演説、意味不明の音のみのコトバ、馬鹿笑い、神を引きずり下ろす
ような所を各所に織り交ぜています。

照屋さんとの相性は思った通りうまく行きました。かなり困っているそんちょうには時々助け船を出し、時々突っぱなします。彼の穏やかな性格とその裏にあるバカヤロー・コンチキショウに期待します。

第1部ソロ
河の始まり(いま私が関わっているうたプロジェクトで始めました)
オンバク・ヒタム琉球弧編〜ストーンアウト序章〜トンビ(パナリの経験からオンバクヒタムに至る)
コントラバヘアンド(前回チャイハナLIVEのテーマ)
バッハ無伴奏チェロ組曲一番よりプレリュード
糸〜西覚寺〜トルコ風〜invitation

第2部
神の裁きと訣別するため・トゥトゥグリ・糞便性の探求(照屋義彦・そんちょう・徹)
ハイチの戦いのうた〜グッバイポークパイハット(ミンガス作、チャイハナに捧げました)
ケブラディーナ(ナザレーのショーロ)

打ち上げは参加者のピアノ・19の春(照屋さんうた)・踊りなどさすが沖縄です。

浦添でライブハウスをやっている上地ガチャピンさんとも初めてゆっくり話ができました。ビックリしたことに、私がバール・フィリップス経由でトゥーロンから預かってきたカーボンファイバーのコントラバス(COSI製)がまわりまわってガチャピンさんのところにあるということ。

2回目の沖縄ではこのカーボンベースを持ってきていました。沖縄でコントラバスを維持するには適しています。その時のLIVEにガチャピンさんは来ていたと言うこと。なんと不思議な因縁ですね。

ガチャピンさん曰く「即興の根付かなかった沖縄にやっとポツポツと即興がでてきました。」私としては即興をさんざんやって来て、大震災・原発をきっかけにいまやっと、沖縄や韓国、ブラジル、アルゼンチンのような歌と踊りを求める方向と共存できる状態になりました。その対比がとても興味深いわけです。歌と踊りの盛んな地域には即興は根付かないのか?そもそも即興とうた踊りは対立項なのか?美酉さんやガチャピンといつかゆっくり話しあいたいと思います。

平田さん・モリジュンと小さな二次会をして長い1日が終わりました。フーーっ!それにしても今日も良い天気でした。与論島では風速80メートルとのこと。那覇直撃の予想もあったので、もしその通りだったら、那覇は完全にマヒ、LIVEも危ぶまれたでしょう。それ以上にチャイハナの古い建物は吹き飛ばされたかもしれないと建築家の聴衆が言っていました。
フーーーっ!

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