沖縄より帰りました。たいへん貴重で楽しく・ズッシリした時間でした。
その1
台風の影響で飛行機が予定通り飛ぶのかという心配がありましたが、無事に着陸。タラップから下りると南国特有の生暖かな空気に包まれます。
今回はジャバラレーベルの森田純一さんとの二人旅。一連の韓国シャーマンとの録音からつき合いが始まり、ジャバラレーベル発足時に西表島浜辺録音「パナリ」石垣島アトリエ游での沢井一恵さんと乃デュオ「八重山游行」その後ソロ「コントラバヘアンド」ミッシェル・ドネダ、鄭喆祺・ザイ・クーニンらとの共演盤「ペイガン・ヒム」小松亮太バンドネオンで「アウセンシャス」音場舎と共作でジョエル・レアンドルとのベースデュオ「ジョエル・エ・テツ」を作ってくれました。その後、ジャバラレーベルは奄美音楽のスペシャルなレーベルとして49枚のCDをリリースし奄美音楽のために大きな貢献をしました。
本土では、身の回りの顔がどんどん変わっていくのに比して、沖縄では20年来の友人・知人にそのまま会うことが出来ます。すばらしいことです。
私が初めて来冲したのもモリジュンと一緒でした。明日共演する照屋義彦さんの劇団「衝波」との共演。私はアスベスト館でのポーランドツアーの直後でした。照屋さんに連れられていったチビチリガマとアウシュビッツの匂いが同じだったことは強烈な印象としていまだに鮮烈です。モリジュンとは、奄美へ同行し里国隆さんの足跡や竪琴のことをしらべに本島を1000㎞走破したり、シンガポールで私のLIVE、モリジュンの音楽講演をしたり、バリ島へ行ったり、楽しい時間を過ごしています。
ジャバラレーベル発足の録音で沢井一恵さんと八重山に行ったときももちろん同行。(録音は小川洋さん、コンサートプロデュースの西尾さん)。石垣でのデュオLIVE2daysの1日め終了後に沢井忠夫さんのクモ膜下出血の報に驚き、当然、翌日コンサートキャンセルして熊本へ直行するかと思いましたが、2日目も敢行。(その日のLIVEが2枚組で残されることになりました。)私はその後、西表島浜辺での録音(パナリ)。その時に、ユーラシアンエコーズ、オンバク・ヒタムという私のライフワークの着想を得、さらに、野球ボール
大のしこりができて入院しようとした朝、しこりが消えはじめるとともに3年間患っていた腰痛も消えるという珍事もありました。琉球ではかならず何かが起こります。
今回も、沖縄関係でちょっと良いことをしたその夜にこのソロ依頼がありました。不思議と言えば不思議です。平田まさよさんが20年つとめたチャイハナというカフェ・LIVEスペースが再開発でしばらく閉店ということで呼んでくださいました。以前から手伝ってくれている田原屋珈琲店(コーヒーとカレーの本格的名店です)の井手和美さんと空港に迎えに来てくれ、田原屋に寄りコーヒーを飲みさまざま情報交換をしてから、国際通り近くのホテルにチェックイン。すぐに散策に出ました。今回2日目のアタカーバルLIVEの主催・翁長美酉さんの経営するブラジル料理店Punga Pongaに行きます。
美酉さんはベーシストを志したこともあり、その後長年ブラジルに渡り、日本へ帰ってきて東京でしばらくパーカッション奏者として活躍(このころアケタズディスクから「パーカッシブロマン」というアケタ・徹・美酉のトリオ録音があります。)その後琉球へ帰りました。そして台湾文化やブラジル、移民のこと、戦争のこと、少数民族のことなどを、時には音楽を携えて実地で調査・啓蒙を続けています。
大変貴重で骨の折れる仕事ですが、将来、彼女の調べたこと・録音したこと・教えた音楽などが必ず大きな花を咲かせるでしょう。すばらしい行動力と分析力です。プンガポンガもだんだんと広く知られるようになり、ここを目当てに沖縄へ来る人も増えたとのことです。
プンガ・ポンガの本格ブラジル料理とOrionビールの新作ペールで乾杯。心配された天候ですが、十五夜の月が煌々と照らしています。泡盛を呑みにボトルネックへ移動、1本(小さい瓶です)開けて、ホテルへ帰りました。