挟み撃ち!vol.5 終了

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6月30日キッドアイラックホール 挟み撃ち!vol.5 終了

言葉が見つからず報告が遅れました。

アレハ、イッタイナンダッタンダ?

日常生活で、次元の違う音あるいは存在に触れるということは希有なことです。まさにそれ。日本のまごうことなき「伝統」が久田舜一郎という身体を借りて目の前に居たのです。

挟み撃ち!シリーズ始まって以来の超満席の聴衆も目の当たりに幻を視ました。アレハ、イッタイナンダッタンダ?

最初に久田舜一郎さんソロで「翁三番叟」。最も古く、能の原点のようというこの演目。レ・クアン・ニンとミッシェル・ドネダとのツアーの時は、ニンとデュオでやっていたのを思い出します。

子馬の皮に息を吹きかける音、緋色の紐が軋む音、掛け声と鼓が2声・3声・4声のように立体的に聞こえたり、時に天に向かって問いかけるような掛け声が答えを伴って降りてくるような場面もありました。目もくらむようでした。

久田舜一郎さんの声をフィーチャーしたいという私の5つの提案の中から「ねぶり耳に降る雨」(さそうあきら)と「日本国憲法第9条」を選んできました。それもとても嬉しかった。「ねぶり耳に降る雨」は佐草夏美さんとのデュオシリーズで前回使用したものでした。そこには、ベースアンサンブル弦311の演目「かひやぐら」と共通する情景があり、死者の書のようなオノマトペに強く惹かれました。後ほど聞くと、阪神淡路大震災で亡くなったご親戚のことが関係しているとのこと。私と久田舜一郎さんとの出会いが震災のチャリティでしたので、なにかの因縁さえ感じました。

憲法九条は「多分無理だろうな」と思いながら提案。久田さんも当日の朝まで「無理だ」と思っていたそうですが、ふと閃くものがあったそうです。起請文・勧進帳のようなスタイルでやれば可能では?ということ。そして現在本当に大事な時期にあることを鑑み、一気に楽譜(?)を作って本番に臨んだそうです。リハーサルも1回で通り、本番はその意外性と重要性・迫真性によって大変感動的な演目となりこの空間を共有した全員の貴重な宝となったと信じます。この言霊が世に流れ出し無謀な企みを阻止することを願います。

憲法九条のリハーサル中にまた閃いて「藤戸」の一節(戦争とそこに巻き込まれる親子の情の部分)をやってみようか、と言うことに。謡の専門の方が逃げ出すくらいに素晴らしい謡でした。

幼気ない子供を思えば、そして親子の情を少しでも想像すれば戦争=殺し合いは有り得ないことです。

最後の即興演奏のキリに「高砂」だったか付祝言があり、祝祭的なめでたさと解放感を感じました。これは「演者 対 聴衆」の所謂エンターテインメントではなく、神への捧げ物なんだな~、演者も聴衆も同じ方向を向いているのだな~と実感しました。

戦場のような緊張感の舞台でしたが(私たちはほとんど討ち死に状態)、楽屋では終始和やかな時間が流れていました。久田さんがバイオリンに憧れていたこと、直毅さんが篳篥(ひちりき)をやっていたことなど初耳のこともありました。ブログに書いた「絃上」の話になると、謡のなかに越天楽が隠れて入っていることなど細かく教えてくれはります。関西弁と古典文学・謡の関係を訪ねると「口語と文語は違うのでそれほどハッキリとは言えませんが、影響は無い訳はないでしょう」という至極まっとうなお答えでした。「私はみなさんのようにいろいろできひんのです」なにをおっしゃる!ひとつのことが出来れば良いのです。それもこんなレベルでできるなんて・・・

ホール地下のブックカフェ塊多での恒例の打ち上げも穏やかに楽しいものでした。ソウルより南貞鎬さん(ユーラシアンエコーズ第2章にも参加してくれたダンサー)もお越しになり、伝統と現代の稀なコラボレーションを評価してくれました。

引っ越し最中の娘宅にお泊まりいただき、ジャンさんからのプレゼント「余市」を空けて、時空をさまよう夢にうなされました。

久田さん、直毅さん、スタッフ、聴衆の皆さま本当にありがとうございました!

こういうことが起こるのです。アレハイッタイナンダッタンダ?

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