ベーシスト地位向上委員会

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(タンゴの)現場でバホ(ベース)弾きはこういうことを考えちょります。(ベーシスト地位協定あるいはベーシスト地位向上委員会なんちゃって・・・)

例えば先日のエル・チョクロでは、谷本さんが初めからノンPAでやるとあたりまえのように決めていました。私は「あっそう」と、一を聞いて十を知る、わけです。谷本さんも私もここへ至るには多くの苦い経験と願いと長い時間がかかっています。

ベーシストの酒のつまみ話やバス弾きを雇う側の為にちょっと書いてみます。音楽専門的すぎる話かも知れませんが、専門的であればあるほど普遍的に理解出来ることもよくありますよね。

ドラムスを使わずに発展してきたタンゴはコントラバホがリズムのキモです。世のポピュラー音楽はほとんどがドラムスを使いました。シンバル・ハイハットという高次倍音(シャーマニズムとトルコ軍楽隊)、スネアドラムというノイズ発生装置(ヨーロッパでは一時スネアが禁止されました。人の情を煽ると言う理由だそうです。)、バスドラムという音圧を伴う低音ノイズ、これらのノイズはすべての音域(Gamut)に渡り、他の楽器の音を吸い込みます。吸い込まれない音は「歪んだ音」(ディストーション)です。なぜタンゴにドラムスが使われなかったかを考える必要があります。

かつて演劇公演で最高級のオーディオセットを使ったことがあります。(現在、新国立劇場音響チーフの計らい)。どんなに音量を上げてもうるさくないのにはビックリしました。うるさい、と感じるのは歪んでいるからなのだと直感できました。

スティール弦のピッチカート(およびバルトークピッチカート=弦をつまんで指板に打ち付ける)はズーン、バチッと気持ちが良いのですが、時にビンビンと耳にキツく響きます。プレーンガットではそういうことはありません。ダリエンソ楽団のあのピッチカートをフォルテでやっても右手の指にも優しく、水ぶくれが出来ることも皆無です。

ジャズの歴史でも共通していました。ロカビリーでよくつかうようなリズムを強調するピッチカート(バルトークピッチカート)でベーシストの仕事が一気に増えたんだよと、バール・フィリップスさんに聞きました。

コントラバホの音と(特にプレーンガットの音)バンドネオンの左手(低音部)との音色の近似も大事な点です。この組み合わせで長年タンゴのビートを作ってきたのです。どんな楽団でもコントラバホの音色を活かせるように全体の楽器のバランスを取れば良いのです。聞こえない時は耳を澄ませば良いのです。いや、聞こえなくて良いのです。そこに無限のダイナミックスが生まれるのです。聴覚上の聞こえる・聞こえないでPAの調整をして全部が聞こえるようにすることには意外な危険があるのです。

「迫力」を出すためにどんどんPAスピーカーの音が大きくなる、というのは嘘です。迫力などでません。ごまかし、単なる自己顕示です。PAを使うだけでブーというノイズが小さくではありますが、始終鳴っていることになります。これが五月蠅い。ゼロ対10は無限大ですが、1対10は単に10倍なのです。(PAの電源を落とすだけでどれだけホッとするか、経験のある人は多いでしょう)

大きい音の楽器に合わせるというのは、貧しい発想です。発展途上の発想です。「強者」の発想です。破綻を招くだけ、その破綻には難聴というおまけまでつきます。

タイミングの妙で小さい音も十分聞こえます。また、音色の違い=倍音成分の違いで聞こえるのです。音量は関係ありません。音圧は関係しています。ピアノの左手の発声の前後へ微妙にずらすことも有効ですが、ピアニストがそれを知覚できないと意味ありません。コントラバホは、ピアノの補強では無いことも忘れてはいけません。逆なのです。

弦の垂直方向への弓のずらしによるザーッというノイズの使用、ファンダンゴス用語でいうバダタン、ゲロゲロなどはプレーンガット弦は得意です。コル・レーニョ(弓の木の部分で音を出す)もドンドンやります。たとえ、100年前の歴史的価値がある弓であろうと、私は叩いています。

コントラバホ無しで成り立つようにピアニストは左手を鍛えて日常の仕事をこなしています。たまにコントラバホが入っても急に左手を極端に変えることはできないし、そのバス奏者の音楽性も音質もすぐには分かりません。PAさんにとっても、せっかく重い機材を持ってきて技術料もいただいて「PAを使わない」という勇気は出しにくいのかもしれません。

マイルス・デイビスの1つのピークをつくったクインテット(マイルス・ウエイン・ハービー・ロン・トニー)ではトニーとロンのリズムが強力でした。(今でもウエイン・ショーターはこのころのサウンドを追求しています。)そこで、ピアノのハービー・ハンコックは、弾かない、あるいは両手をなるべく使わないという方法を取りました。10個もの音は余計です。人気絶頂だったころのマイルスバンドですから、毎回素晴らしいグランドピアノが用意されていたでしょうが、ピアニスティックに弾くことを止めました。好判断でした。乗っているリズムがあるのに「なぞる」必要は無いのです。ピアソラに「革命家」という曲があります。この革命家とはエンリケ・キチョ・ディアスのことなんだよ、タンゴを革命したんだよ、と高場将美さんが教えてくれました。ベーシストを尊重していると良いことがたくさん起こります!ホント。

楽器を弾けるようになったら、どれだけ「弾かないか」が次の大事な課題になるのですが、ナルシズムと自己顕示でなかなか出来ないのが世の常かもしれません。ダンサーは踊らないように、画家は描かないように。

昨今、PAはジャズ・ロック・ポピュラーの影響とエレキベースの普及でベースとバスドラムの音色との一致させる方向にあります。バスドラムの音というのはフエルトを巻いたマレットを足のキックをペダルに連動させて音を出すわけです。高次倍音は考えてはいません。ベースの音とバスドラムの音をPAで近づけると、ベースの音は複数のベースドラムの音と同じになってしまうわけです。(一方、真空管アンプでブーストしたコントラバスには独特の魅力はありますが、ここでの話題からは逸れます。)

たくさんのタムタム・ベースドラムを手で演奏していた頃の富樫雅彦さんのグループに居たことがあります。彼がオスティナートをタムタム・ベースドラムでやり始めると、コントラバスの倍音があっと言う間に吸われていくのが目に見えるようでした。富樫さんが好きなベースの音は、フェンダーのギターアンプを通した時のようなちょっと歪んだ音なのです。(フランソワ・ジェニー・クラーク、チャーリー・ヘイデン、鈴木勲、井野信義さんなどが好きでした。)アルバート・アイラーの「スピリチュアル・ユニティ」のゲーリー・ピーコックの音は生そのもので名録音ですが、現場であのようなバランスで鳴っているはずはありません。きっとゲーリーは「自分の音が聞こえないよ〜」と思っていたでしょう。そうなのです、これはレコード藝術なのです。スコット・ラファロの生音は小さかったよ、とバール・フィリップスが教えてくれました。

グランドピアノの凹んだ部分にベースを配置するとピアニストからも見やすいし視覚上バランスが取れますが、これもベースの倍音をすべて吸い込んでしまいます。ゲーリー・カー初来日のワークショップで彼が強調していました。ベーシストはピアニストの背後にいるべきだ、と。

聞こえない可能性が高くても、生音で高次倍音を響かせるのだという誇りと勇気をバシストが持ち、他のメンバーも認知すれば良いのです。コントラバホは驚くほど多くの高次倍音がでているのです。遠慮しろ、と言っているのではありません。同じ意識でその場にいて欲しいだけです。

プレーンガット弦を触るとすぐ分かりますが、ざらざらで凸凹です。これこそ雑味を出す元なのです。チェロと比べて6度しか低い音が出ないのにこの大きな図体の楽器が今日も愛されている理由は、弦の長さと太さに起因する「倍音とノイズ」です。コントラバスは「倍音とノイズ」の楽器だと言い切ってしまいましょう。

現在私の使っている弦の太さを言えば、一番細いG弦の太さが、一般のスティール弦の一番太いE弦の太さと同じです。これは、違う楽器と言っても良いほどです。先日のエル・チョクロではステージ上では十分響いていたとは言えませんが、縦長のエル・チョクロの一番後ろにいた娘が「よく聞こえたよ」と言いました。遠くへは十分届くのです。信じるのみです。人生です。

カラヤン指揮のベルリンフィルのコンバスセクションは、ソロ弦を使ったそうです。2度高く張ってソロが聞こえ易くするために、より細くなっています。その弦をレギュラーチューニングにまで緩めて使ったということです。より細いために余計な雑音成分は減ります。すなわちバイオリン・ヴィオラ・チェロ・コントラバスという弦楽器群が1つの整った倍音成分で、1つの大きな弦楽器の音として「きれいに」鳴るわけです。バイオリン・ビオラ・チェロとコントラバスが違う出自だということを忘れています。

(プレーン)ガット弦は、倍音と雑音を多く含み、かつ、伸びやかな弦の美音も同時に持っているのです。値段が高い・音が小さい・下手に聞こえるという三重苦を抱えていて、いろいろな場面で器用には立ち回れませんが、私は当面これで行きます。

ずいぶん小言を言いました。さて、あとは演奏です。

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