ジャンさん体操・気の道入門、デュオLIVE最終

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本日は気の道・ジャンさん体操WSと夜のDuo Liveです。

アイヌの資料が豊富に展示されている近文の生活館が会場です。近文(ちかぶみ)、この周辺にアイヌの人達が集められた場所です。(土地を与えると言って嘘八百で強制移住)(数年前、近くのアイヌ墓地で砂沢ビッキさんのお墓を発見しました。)

ちょうど良い人数、アンニャさんにもアシスタントをしてもらい、ゆっくりジャンさん体操・気の道入門をやりました。私のようにこの1ヶ月間ほとんど毎日同じ体操をしていても発見があります。1年ぶりでも同じ事、いや、期待が大きい分だけ準備も心構えもやる気も何倍もあるので皆さんドンドン吸収して行くのが見えるようでした。

モケラへ帰り、LIVEの準備です。身体も頭も疲れていますが、これが最終です。自分が何かを提供するというより、「通り道」になるような身体と心の準備をすれば良いのです。それをずっとジャンさんのワークショップでも私のワークショップでも言い続けてきているのです。本人がやらなくてどうします?情報を詰め込んで、難しいところをさらうのではなく、空っぽにして笑みを絶やさず、目は半開きで居られるように。ソス~と深呼吸。

57人という目一杯の聴衆とスタッフの期待に押し出されるようにスタートしました。前にもちょっと書きましたが、この日のディーバは全く違うバージョンになりました。ディーバを迎える楽師(私)の演奏する曲についてディスカッションをしてビオレータ・パラの「ありがとう命」だけに絞りました。これも奏功したのでしょう。(いままでは、エル・チョクロ、ヌムキテパ、ウイーンのワルツ、白鳥などを散りばめていました。)

多分普段の2倍くらいの時間になったでしょう。私たちも毎回「ユーモア・ヒューマン」って何?を学んでいるのです。泣き笑いのディーバでした。メインになる即興のシーンは何をやったかほとんど覚えていません。途中でジャンさんにベースを託し袖に隠れたことは覚えています。

ヴェキア(おばあさん)登場も良い感じでした。もう、何も表現することはありません。この場にしたがっていれば良いのです。そしてヴェキアに「1曲弾いて!」とリクエストされて演奏する場面で客席にいたモケラスタッフがそっと「ふりかえるまなざし」を歌い出します。まさに一歩ツアーの締めくくりにふさわしいエンディングでした。詩の渡辺洋さんも歓んでくれていたでしょう。(途中で照明が一瞬消えたのは、彼が来てるよという合図ではないか、という説がでました。)

最終打ち上げは北海道の海山の恵み満載。ワインも酒も豊富。良い気持ちになったところでサプライズ劇場。日本へ来る2日前に結婚入籍をしたジャン・アンニャのためにイタヤンが怪しげな牧師になり簡易結婚式を執り行いました。笑い満載の誓いの言葉。Naël王子は決して2人の所には行かず私のそばから離れません。2人のための儀式であることが分かっているのですね。

ひとりひとり帰途につき、テーブルを囲む人数になると(最初は30人を超えていました)1人1人感想を言ってくれました。モケラ恒例の泣き笑いセッションになりました。いかに多くの時間と期待と愛情を使ってこのLIVE・WSの準備をしていたか手に取るように分かります。ありがたいことです。ジャンも私もこうやって生きていくのでしょう。ミルトン・ナシメントのうたを思い出します。

“Nos Bailes da Vida” 人生のダンス (高場将美訳)

歌うというのは太陽にぶつかる道をさがすこと

私は昔の自分を良く覚えている

歌うとなれば遠いものは何も無かった

全て結構

トラックの運転台で土の道を走っても結構

そんなものだった

ずぶ濡れの服 泥だらけの魂

全てのアーティストは人々のいるところへ行く

そうだったのだから これからもそうさ

歌いながら自分を壊し でも私は

生きることに疲れない 歌うことにも

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