私的な紹介
矢萩竜太郎(ダンス)
我が愛しき弟分です。ダウン症のダンサー。「ダウン症の」と言う言葉を使わないようにしていましたが、今は敢えて使っています。決してそれを「売りに」していません。それは庄﨑隆志さんを「ろう者の」と呼ぶのと同じで、ろう文化の誇りに敬意をはらっています。こういう言葉の使い方一つ取っても微妙な問題を含んでしまうこと自体が採り上げられるべき問題なのです。
ダウン症は一つの個性であって差異ではなく決して「特別」ではないと言う面と同時に、ケアが必要なこともあります。よく聞くと、バイト先で「いじめ」にあっていたり、長年のつき合いの先生から酷い言葉を言われ深く傷ついたりしているのです。
その悔しさも彼のダンスの動機になっているのでしょうし、現代の持つ矛盾・病理が差別の中に結晶することも見逃してはいけないでしょう。
彼を「天真爛漫な」とか「無垢な」とか言うことはたやすいですが、それはそこで判断停止していることに他なりません。その「明るさ」は彼が生き延びるための知恵であり、方法なのだという面も忘れてはならないのです。
彼と付き合うことでまず自分の中に「偽善はないか?」を問い、その問いに答える過程で、自分自身を知り、社会を知ります。そして彼によって自分が問われ、影響を受けていることを知ります。ジャン・サスポータスがヨーロッパで自閉症の人達とのワークショップを始めたのも彼とのつき合いが影響しているのでしょう。
先日のドイツ公演ドキュメント上映会の後のジャン・徹・竜太郎のミニライブでの彼の高揚感はスゴイものがあり、ジャンの踊りを圧倒している場面も多々観ることが出来ました。ドキッとしました。
我が愛しき弟、などと言っている内にあっと言う間に追い抜かされていくのです。