私の経験から言うと、モダン・コンテンポラリー・舞踏などのダンサーで音を身体に入れて踊る人は意外なほど少ないのです。
多くは、自らの踊りを効果的に、異化的に、見せるための「効果音」として、あるいは、時間の経過をしる時計代わり、身体のノイズを消すための音などとして、意識的・無意識的に音楽を使っているのです。それでは両者にとって不幸だと私は考えます。
何人かのダンサーは音(楽)を身体に入れて反応させて踊ります。それでこそ演奏側は「やりがい」があります。自分も大きく問われています。ミラーニューロンを思い起こすと演奏側も踊っていて、ダンサー側は奏でているわけです。
昨日のジャワ舞踊手・佐草夏美さんはその中の一人です。数年前にたまたまご一緒する時間があり、音が身体に入っていくのが見えるようでした。しばらく経ってオファーをいただき、1年1回で3回目の会でした。
会場は変わらずMURO http://www.masumi-j.com/rentalspace/muro.html
漆を塗った後乾燥させるために使われていた室 (むろ)がそのスペースです。
和蝋燭2本のみの薄暗い誂えですが、目が慣れてくると良く観ることが出来ます。焦点を合わさずに観るにはとても適しています。写真では真っ暗ですね〜。
今回渡されたご主人さそうあきらさん作の詩に引っ張られる演奏でした。折口信夫の「死者の書」を彷彿させるオノマトペ、古語で書かれた詩は「川に流れて死んでいく人からみた世界」だそうです。
ねぶり耳に降る雨。
ほろほろほろ 石まろぶ。
甘露にわかに肺胞を浸し。
ひたひたひたと ましゅうまろ薫る。
ねぶり耳によせる波。
ほとほとほと 星のさやぎ。
温水(ぬくみず)やがて血潮に染まり。
われそうそうと微塵(みじん)に溶けゆく。
たぎちのどよみ。
あなかま あなかま あなかま あなかま
ねぶり耳にわたる風。
らいらいらい ぶなの芽吹き。
深緋(こきひ)の空に若葉したたり。
あゆなんなんと 道を説く
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ねぶり耳:寝入りばなに聴こえる音
石まろぶ:川の流水に押されて石が動くようす。
らいらい:籟とは風邪がものにあたって出る音
たぎちのどよみ:「たぎち」は川の急流。逆巻いて響く音が「どよみ」
あなかま:ああ、やかましい
そうそう;風かと聞きまがうほどやさしい雨や水の音
ベースアンサンブル弦311でも「かひやぐら」と題して演奏したものは、津波でコントラバスと一緒に流されて生きているのか死んでいるのかわからない状態、空を見上げると雲一つ無い青空ということを想像しながらの演奏でした。
3年自由にやらせて貰っている信頼感が上手く作用してだんだん自由になって行きました。
四半世紀前ご一緒した女優、騒(ガヤ)ゆかりの人、詩人、僧侶、歌手たち、亡くなった人達に見守られている感覚もありました。
漆を乾かす場所でしたが、漆と言えば、旭川の漆作家 堀内亜理子さんの展示が日本橋で行われています。箸・椀・弁当箱などなど。一生ものです。スバラシイ!観て触れてください。