祈りの音楽@キッドアイラックホール FB用に書いた文章を2つ載せます。
音に導かれる
本日のキッドアイラックホールでの公演の演奏では、直毅さんと私は現在の音程に比べて半音ほど低いチューニングにしています。バッハの時代はこのくらいだったという話です。
私の楽器「Barre」は150年ほど前に作られました。明治維新のすぐ後だと思うと、文明・文化のことを考えてしまいます。当時もいまより大分低かったということです。それは、実際に低くして弾くと納得します。まったく違う鳴り方になるのです。しかも今私はG/D/A弦をプレーンガットにし、E弦を銅巻きのガットにしています。当時の音にとても近いと言えるでしょう。
現在、音が高くなっているのは、人の耳にとって刺激がつよく、大きな場所でも届く必要があるからでしょうね。
今日のチューニングでは、ピッチカートでズンズンとビートを刻むにはテンションがちょっとゆるいですが、昨日のソノリウムホールのような響きの良いところでゆっくりと弓弾きをすると知らない音がどんどんと出てきます。
演奏者は出てきた音に対して次の音を紡いでいくので、音楽全体が自然に変わっていきます。
演奏する者として幸せな時間です。音に導かれて見知らぬ土地を旅する感じです。
「演奏する」とは、自分の身体と楽器を通して出てきた音を「聴くこと」という話にも直結します。しかも本日のテーマが「祈りの音楽」ですので、自己表現というところから遠く遠く離れていくでしょう。
本日のキッドアイラックホール、生楽器にとってとても優れた音響ですので、自分がどうなるのか?たいへん楽しみです。
きっと直毅さんも同じ思いでしょう。(ましてシャコンヌもあるし・・・)
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歌。うたう。
舞。雨を請う。
音。神のおとづれ。
楽。うたい、おどる。
楽師がつたえたものがたり、「詩経」
孔子もうたい、舞った。
花。
「お前は美しい」と、うたうと、病もいえる。歌とはそういうもの。
歌はみな呪歌。
神との交通の手段。
(白川静+梅原猛 呪の思想 神と人の間〈平凡社〉)
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3月16日(月) 羊の歌「祈りの音楽 Music of invocation」 Jean Laurent Sasporteswith 齋藤徹(コントラバス)さとうじゅんこ(うた)喜多直毅(ヴァイオリン)
■会場:キッドアイラックホール(http://www.kidailack.co.jp) ■時間:19:30 open / 20:00 start
■料金:予約3,000円/当日3,500円 ■予約:Tel:03-3322-5564 Mail:(arthall@kidailack.co.jp)
祈りの音楽 羊の歌 終了
ごく自然に決まったメンバーとテーマでした。オペリータでの共通経験、うたをさがしてトリオでの経験、ポレポレ坐・いずるば・キッドアイラックホール・カフェアダでの経験、そしてこれから将来にわたってもいろいろな経験があるでしょう。その中で1回はやってみたかったパフォーマンスでした。
テネブレでは朗読の後、暗転の中のダンスと音、シャコンヌはルターのコラールが潜んでいるという説に基づきバイオリンソロにコントラバスとコラールを追加)ありがとう命ではジャンがじゅんこさんと一緒に歌いました。
演奏曲:
ああセリム (アンゲロプロス「永遠と1日」より。徹作曲)
グルリオザドミナ~ぐるりおざ(スペインの原曲から隠れキリシタンのおらしょへ)
旅人の歌~石のように(オペリータうたをさがしてより。徹作曲)
カンティガ(スペインの古曲)
うたソロ~ベース・ヴァイオリン即興~オーリャ・マリア(インドネシアの秘曲〜即興〜トム・ジョビン・シコブアルキ作品)
テネブレ~シャコンヌ(パウル・ツェランの詩からテネブレの儀式〜バッハ)
アンコール
ありがとう命(ビオレータパラ)
カンティガでバイオリンの弦が切れるハプニングがありました。それについては喜多直毅さんのブログに詳しく出ています。私は自分のハプニングには強い方なのですが、直毅さんのこのハプニングにはドキドキでした。1日たったいまでもドキドキしています。