ねじ9 終了
前回のフラメンコダンサー森田志保がフラメンコを越境するシリーズねじ。前回はセバスチャン・グラムスと私がゲストでねじ8を同じソノリウムホールで行い、フラメンコからの越境はしっかりと確認でき、さらにフラメンコが自らの出自であること、そこを根拠地として越境をしていることの確認ができたように思いました。志保さんが、フラメンコを越えることを望むばかりでなく自分がどこにいるか、何者なのかを確認できたことこそ成果のようにも感じました。
自分の居場所がハッキリしているからこそ、越境にも意味があるし、本当に越えることそして帰ってこないことさえあり得るのだと言うことを私は学びました。
年格好のピッタリしたジャンさんとのデュオダンスは思い通りうまく行きました。踊る衝動が真っ直ぐで強い志保さん、あるいは、踊らないとおそらく生きていけない志保さんのダンスはジャンさんを大いに刺激し、さらには、煽っているようにさえ見えました。こういう高度な即興的なデュオダンスは、フラメンコとかコンテンポラリーというジャンル分けが全く無意味に見えてしまいます。
ダンスのジャンルに枝分かれする前、さらに、音楽とかダンスという表現のジャンル分け以前の踊りたい、奏でたいという「衝動」、人はなぜ歌うのか、踊るのか、が問われ、自在に答えがでるという感じでした。
そういう状況が想像できたので、もう一人の演奏家を探す時、当たり前のように喜多直毅さんだな、と思いお願いをし、案の定うまくハマりました。
30年近く聴き続けていていつかやってみたかったラ・フォリアをユーラシア大陸の西と東の果てのイベリア半島・韓半島のリズムの近似、タンゴ、即興に絡めて変奏。そんな私の夢想を実現するように舞台は進みました。直毅さんの身体表現にも新発見がありましたね。
皆さんに感謝です。