Mesa@アケタ終了

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Mesa @ アケタ終了

「好きな音楽と自分が演奏する音楽は違う」ということでずっと避けてきたブラジル音楽を今年から定期的にやろうという第1回目。これは私にとって、実は大いなる「挑戦」なのです。何を大げさな、とお思いでしょう。

豊富きわまりないブラジル音楽から名曲中の名曲を厳選、ブラジル生活経験のあるオオタマルさん、そしてなにより「うた」のじゅんこさん、そしてまさに脂ののった喜多直毅さんのひらめき、プレーンガット弦コントラバスが暖かく支える。ヴィニシウス・ジ・モラエスを真似たわけではありませんが、温泉に浸かり、おいしいものを食べたり呑んだりをしてのリハーサルは和気あいあいです。

これでうまく行かないわけはありませんよね。

私は音楽に関して「いま・ここ・わたし」という事に何よりこだわってきました。他の言い方をすれば「今で無ければ」「ここでなければ」「わたし(達)でなければ」出来ないことの割合が高ければ高い音楽をやっていきたいと肝に銘じてきました。その率が高ければ高いほどオリジナルな表現が出来るのではないかという「幻想」です。

インプロや自作曲は自然にその率が高くなります。さて、ジャズやタンゴ、フラメンコ、ブラジル、韓国音楽、クラシック音楽を演奏する時にその率がどの程度になるのか?というのがいつも引っかかっているのです。高くなければ自分がやる必要が無い、いや、やってはイケナイのでは、と思ったりもします。いろいろな工夫をしたりして何とか自分を納得させないとできないのです。

なぜそこに引っかかるか?なんでそんなにメンドーに考えるのか?

幼い頃から音楽家になるべくして成ったわけではなく、大人になってから「生き方」として音楽を選んだという事もあるでしょう。「生き方」ですので、嘘をついては成り立ちません。ずいぶん周りに迷惑をかけて演奏し続けてきました。笑ってごまかせないのです。

また、音楽そのものが「嘘」を付けないものであることも経験的に知っています。嘘をつけば必ずと言って良いほど身体を壊し、心を壊していきます。

音楽的につまらない教則本を一生懸命練習していた頃、つまらない音楽で身体が一杯になっていきました。人間は決して強いものではありません。つまらない音を出し続けることはつまらない音楽を聴き続けることになり、身体にしっかり入っていくのです。(最近、書いていた「にわかランナーの思いつき」の話に近くなってきました。)

てなわけで、Mesaは私にとって大いなる挑戦です。果たしてどういうことになるのか、自分でも「楽しみ」なのであります。

何にしてもこれは良い音楽だな〜

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