にわかランナーの思いつき・・・その2
エンドルフィンやドーパミンが脳内麻薬となってランニングハイをもたらす、ということが何を意味するのかを考えています。非常時の身体の無理を効かすためのものであることは分かっていますが、それだけでは無いでしょう。
多少の無理というものが人間にとって必要なこともある、ということを考えました。無理をしたらダメ、普通に、普通に、ということだけでは、人間の変化も進歩もなくなってしまいます。どこかで無理をして道が拓けることもあるでしょう。いやそれどころか、「必要最低限では何も起こらない、100%以上のものが、たとえ無駄なものになったとしても、先に繋がっていく」、という経験は何度もあります。
その「無理の程度」が何ともムズカシイのです。謎なのです。
演奏においても似た状況があります。
世に「左手のピアニスト」が多いことは知られています。有能なピアニストが急に右手が使えなくなり、しかし、演奏活動を続けたいがために数多くの左手用の作品があります。技巧派と言われるようなピアニストが、ある日突然、主にメロディを担当する高音部の右手が動かなくなるのです。ギタリストでもそういう事例が多いと聞きます。練習熱心で、才能に溢れ、簡単にドンドン指が回ってしまうプレーヤーが罹るというのは何とも不幸です。ジストニアという病で脳の手術で治ったということも伝え聞いています。また、ボツリヌス菌による治療で完治したレオン・フライシャーさんは来日公演も果たしています。
ピアノやギターは人間工学的にとても「楽」に音が出せるために、こういう状況にもなるのかもしれません。コントラバスは1音出すだけでも大変ですのであまりこういう例は無いのかと思います。(エリス・レジーナのバンドの名ベーシスト(エレキベース)、ルイザウーンさんは右手が利かなくなり、左手で押さえるだけでアンプを使って音を出していたそうです。)
かく言う私は、コントラバスを始めたのが遅かったので、自らの練習方法を開発して「根性」を入れて体育系のように練習した時期がありました。長時間・汗をかきながら必死の形相でした。人生遅くに楽器を始める人は楽器用の身体になっていないのでこれは大変危険です。案の定、左指・左肩にしこりが出来てしまい演奏できなくなりました。今は亡き土橋恵美子(騒恵美子さん)は、所謂エスパー(超能力者)でした。誰が見ても、そう納得する感じがありました。(少女の頃から目立っていて木村伊兵衛さんがモデルになってくれとお願いしたそうです。)UFOは日常的に見ていたし、後年は占いで生計を立てた事もありました。
私の「しこり」は騒で恵美さんに治してもらいました。ちょっとオカルトっぽいですが、呼吸のすぐれたレコードをかけながらしこりの部分に軽く触って一緒に呼吸をするのです。「あなたならできるはずよ」なんて言われながら、あっと言う間に治り、私自身がその治療法を手に入れました。何人かを本当に治した?こともありました。しかし、ちょっと重い症状の人を治そうとして私自身がその病を移入してしまったりして、本気で修行をしないと無理と分かりその後やっていません。
要は、「自然に、呼吸させる」ということなのですが、「自然に」というのがムズカシイのです。「自然な呼吸」を意識しだすと普通の呼吸さえできなくなります。「自然に立つ」「自然に歩く・走る」を意識すると走る・歩くはもとより立つことさえできなくなるのです。土方巽さんが、舞台の上手から下手へ歩くだけというダンスをした伝説がありますね。
ではその「自然」を実感するのはどうすれば?
都会生活をしていて身の回りに「自然」は無いよ!と言うのはちょっと早急です。都会であればあるほど豊富な「自然」があります。それは人間の「身体」です。自分の身体を自分のものとして所有しないで、自然から分けてもらって70〜80年貸してもらっているものと考える。そしてどうすべきかは「身体に聞けば」良いのです。偉大な体育教師で思想家だった野口三千三さんの言う「からだに貞く(きく)」とはそういう考えなのでしょう。
いまや、空気・薬・食物さらには放射能により、自然であるべき身体は汚染され続けています。抗生物質で汚された人間の身体は鳥葬しようとしても鳥が食べてくれない、という話は笑えません。
腕の形状を考えるとどうやって腕を振って走れば良いかは自然に分かるし、足の形状・足指の形状を考えればどうやってバネを使えば良いかは分かるのです。胸を張って体幹を意識して背中で走る姿はとても自然で楽しそうです。笑顔が似合うのです。
身体のある部分を意識しながら動くというのは、劇団太虛(タオ)時代にさんざんやりました。早稲田小劇場の鈴木忠志メソッドの身体訓練の担当だった鈴木健二(後の鈴木絢二)さんが毎日やっていました。ただみんなで円状に歩きながら「ハイ、右眉」「左足親指!」「右手中指」とか指示されてそこを意識しながら、あるいは、痙攣させながら歩くという訓練でした。私は役者に混じりながらおもしろがってやっていました。
患部をそっと触ったり、集中して意識して、そこで呼吸をする、ということが身体を活性化し、身体本来の持っている自然を呼び覚ますということなのでしょう。本を読んで学ぶのでは無く身体が教えてくれます。
コントラバスの弓にはドイツ式とフランス式があり、日本で訓練を始めると100%ドイツ式で始めます。私もそうでした。プロとして演奏を始めていたある時、楽器店でいたずらにフランス式弓を弾いてみました。その一瞬で私は変わり、すべてのドイツ式弓を売り払いました。当時日本にはフランス式弓を教えてくれる人が居ないので、ともかく弓の形状を観て触れて考えて、自分なりの方法を身につけました。先生に学ぶのでは無く、楽器や弓に聞けばいいのです。作曲作品なら楽譜に聞けば良いのです。即興なら共演者や自分の出す音に聞けば良いのです。
形には意味があります。特に伝統的なものの形には深い意味が隠されています。美は細部に宿ることと似ています。すぐれた弓や楽器を寸分違わずコピーすると驚くほど良い結果が得られることも多いのです。
アルコールやニコチンは過度に摂取すると身体に悪いですが、だからこそ、適量だと良い結果もあるのです。自然に従いながら、時に抵抗してみる。そのバランスが知恵です。いずれにせよ、自然そのものである私自身の身体が自然を変えることはできないのですから。
写真はボツリヌス菌による治療で20年ぶりに右手が回復したレオン・フレイシャーさん