Tsukuba Art Center レジデンス オープニングイベント@つくばふれあいの里
空気のきれいな筑波山中腹。雲一つ無い晴天。
決められていた会場に到着、音もとても良く響き、細部まで聞こえるし、ダンスも細部まで見届けることが出来ます。しかし、しかしどうしても「野外でやりたい!」という気持ちになりました。紅葉の燃えるような山、筑波山のスカイライン、抜けるような青空。こんな環境にいながらなんで薄暗い屋内でやらなければならない?
集中力は何分の一かになってしまうでしょう。細部は聞こえないし、観ることもできないでしょう。コントラバスと歌という編成は響きの良い屋内にこそ適しています。ダンスも適切な照明があったほうが見栄えは良いに決まっています。(ダンス公演の半分は照明だよ、とジャンさんが言っていました。)そしてなにしろ美しい自然にかなうわけないのです。でも、でもここでやらねばなりませぬ。それが私たちです。主催の篠原さんも即同意してくださいました。ありがとうございました。美術系の人とのそういう相性は良いのです。
山の天気は急に寒くなるというので、半分は野外で残り半分を屋内にしようと思いましたが、もう屋内に入る気持ちはなくなっています。ちっぽけな人間がジタバタと音を出し、動きます。それを観て感じてもらうしかない、ということにしました。「表現」ということさえほとんどありえない状態です。それでいい、それしかない・・・
音を試していると、聴衆の中の子供達が黙っていません。どんどんステージに上がってきます。こちらも一緒にさんざん遊びました。「そろそろ始めていただけますか?」というので演奏開始。
聴衆も「なにか良いものを見せてもらう、聞かせてもらう」という状態ではなく、思い思いの場所で観ています。美術作家のかた、そのご家族も多いので自由な気分がもともとあります。もちろん子供達は黙っていられません。ほとんど一緒に踊っています。すこしは自然に抗う(あらがう)ような事もしました。特殊奏法もしました。特殊チューニングもしました。大声もだしました。すべてがど〜ってことないわけです。何を「表現」する?自分の「オリジナリティ」だす?できっこないっしょ。竜太郎さんも麻衣さんもじゅんこさんものびのびと遊んでいます。それで良いのだ。
会場のあちこちにある美術作品はひっそりとそしてどうどうと自然の中で「立って」います。その力強さ。すがすがしさ。その中でなんとコントラバスを題材とした作品がありました。高橋睦治さんの作品。富士山と筑波山の見渡せる広大きわまりない所に立っているではありませんか!特に音を出すわけでもなく堂々たるものでした。鉛のプレートをはりつけたコントラバスの足下には長〜〜〜い弦がはってあり、筑波石が駒の役割を果たしています。すんばらしいです。即座に思い出すのはブルンジの弦楽器。地面を使い大地を楽器にして、弦を渡して、弾きながら囁きます。一恵さんの大好きな音です。(OCORAレーベル)
わかっちゃいたけど、あっさりと自然に完敗の日でした。そして本当に良い経験でした。人の小ささ、自然の大きさ、そのなかで人は何をして生きていく?(帰途の常磐道の大渋滞は一体何?心を潰します。)