オンバク・ヒタムとはマレー語で「黒潮」です。ヨットを持っていた久我耕一さんによると、本当に黒い流れが流れているということです。プランクトンを豊かに含む暖かな海流を想像します。
物語の始まりは、西表島でした。森田純一さんがジャバラレーベルを始めようとしていた時期(以後、有名になる奄美島唄を録音する前)、福岡の西尾次男さん、画廊香月などのエネルギーがまとまって琉球弧に注がれていて、あまり南の島々に縁の無い私がその流れに乗ったのです。森田さんとは韓国シャーマン・伝統音楽の録音で親しくなっていましたし、博多の熱い気持ちも盛り上がっていました。
西表島の浜で録音したとき(CD「パナリ」になりました。)この海流は韓国へ流れるのか、と漠然と思いました。録音が済んで民宿に帰り、地図を見ると、西表島の北緯が24度17分に対して、台北は北緯25度5分、西表島の東経が123度51分に対してソウルの東経が126度59分であることにビックリ。日本とアジアの位置関係を見直しました。伝統の踊りの手の形、屋根瓦、死後結婚、洗骨などが琉球弧と韓国と繋がっていることもだんだんと分かってきます。
そして、ザイ・クーニンが私が韓国録音した音源をとても気に入ってくれたこともあり、一気に繋がるような気がしました。ザイは海の遊牧民(シー・ノマッド)を調査していて、一緒にインドネシア領にあたる地図にほとんど載っていないドンドン島という所にも行きました。彼が近くの島にアトリエを持っていてヤンさんという海を熟知している謎の人と親しかったのです。まず彼のアトリエへ行くと海の上!に建ててありました。ドンドン島は元海賊の島。この頃はだんだんと漁業に移行しつつあるとボスに聞きました。ボスは私が菊のパスポートを持っていることを知ると急に態度が替わり、日本領だったころを思い出したようでした。こんな島まで入り込んでいたのですね。
網野善彦さんの著述にはいつも驚かされ、インスピレーションを得ていました。彼がよく提示する「逆さ日本地図」(富山県発行、掲載許可が要るのでここでは他の地図を載せます)。これを見るとあっと言う間に見方が変わります。地球は自転・公転をしているので上下はありませんが、いつもの地図を見ているとどうしても上から下へ重力が掛かっているように見てしまいます。しかし逆さにして見ると、日本海へ至る海はさながら地中海と同じように見えます。海流は南から流れているので逆さにした方が実感を得ることが出来ます。ここに共通する文化があるはずです。
「フツーの生活」からドロップアウトした我が身として、地方から東京、日本から欧米へという流れしかないような社会の在り方には「?」を持っていました。しかし細心の注意が必要です。アジアアジアと言うと大東亜共栄圏や八紘一宇が直ぐに思い出されてしまいます。鶴見和子ゼミの時に、南方熊楠・柳田国男・竹内好・石原完爾・板垣征四郎・北一輝・大杉栄・竹中労・松本健一・カスタネダなどを乱読していた私は、小学校からの当たり前だった左翼教育、当時の内ゲバ殺人の凄惨さを目の当たりにしていて、堂々巡りから何とか脱出したくて音楽の世界に逃げ込んだとも言えます。
地方から東京、東京から欧米というエリート的、収奪的流れを相対化して大地と海からの文化・うたと踊りの文化を夢見ていた私に、オンバク・ヒタムはたいそう魅力的見えました。つい最近まで対馬海流に乗った舟の文化は太平洋側に勝るとも劣らない隆盛を誇っていたのです。
時は過ぎ、北海道へ頻繁に通うようになった頃、詩人・吉田一穂を読み出しました。彼の故郷・古平も何回か訪れました。彼の「黒潮回帰」「古代緑地」などを読み、オンバク・ヒタムは韓国・朝鮮半島に辿り着いた後に日本海側に流れていき、古平あたりが最終地ではないかと気がついてオンバク・ヒタムがさらに重層的なものになりました。裏日本(イヤな言い方ですね)・東北・北海道の文化はここに連なっている大変豊かなもの、仏教伝来より以前の要素を色濃く残しているヒントに溢れた文化ではないかと夢見たのです。青森のねぶたは「わびさびの和」ではないはずです。
山梨で、吉田一穂の「桃花村」の名にちなんだ地域活動をしていた田中泯さんにもその頃出会い、オンバク・ヒタム座高円寺公演に参加して頂き、中断している「白鳥」シリーズも始め、好評を得ました。(続く)
◎日時:2014年11月6日(木)19:30-(開場19:00)
◎会場:space&cafe ポレポレ坐(東中野)東中野4-4-1ポレポレ坐ビル1F
◎出演:カムルル・フシン、齋藤徹(Cb.)、さとうじゅんこ
◎料金:予約3,000円/ 当日3,500円(1ドリンク付) *定員100名!お早めに!
◎ご予約・お問合せ:ムティアラ・アーツ・プロダクション
◎企画・制作:ムティアラ・アーツ・プロダクション 上原亜季