Double the double bass in Japan 2014 第十回@ドイツ文化センター
いや〜、示唆に富んだ良い会でした。
開場前からワインやジュースがお客様に振る舞われ、良い感じになっています。リピーターも何人もいらっしゃいます。うれしいもの。
私としては、久田舜一郎さん・沢井一恵さんという大看板をお招きしているので、それはそれは大変です。それぞれの世界のトップにいる人達は、フレキシブルでオープンです。そうでなければこの会に参加してくれませんよね。しかし、いつでもご自分のやり方を通します。そうしなければいけません。それはご自身のためというよりは、芸のためと言っても良いでしょう。すべて勉強になります。立ち位置からいろいろと大変でした。
言語としての音楽、とニコラウス・アーノンクールが言っています。なるほど、そういう見方は成り立ちます。しかし、このお二人の音楽(言語)は決して「おしゃべり」や「日常会話」ではありえません。それは精霊にも通じ、森羅万象にも語りかけ、生死をかけた言語、あるいはホンモノの「詩」になっている言語なのでしょう。
彼らの1音がすべてをさらって行ってしまいます。セバスチャンも直毅も私もその強烈な風に翻弄されますが、とても幸せでした。小鼓は音楽で在ると共に能舞台での演出家でもあります。その仕切りはすべてを決定してしまう力を持ちます。
構成を決めて、ワンパート10分ということでしたが、そんなこと彼らには関係ありません。それは彼らのワガママでは無く、音に従っているだけなのでしょう。あと何分くらいかな?と考えて演奏を変化させるのは小物です、ハイ。
会場にいらっしゃった方も、伝統の真の力とオープンさ、過激さを味わったことでしょう。帰り際に「私はクラシック音楽しか聴きませんが、今日は素晴らしかった。これからはクラシック音楽がものたりなくなってしまうのではないかと心配です。」とおっしゃっていました。
こういう会を成り立たせているドイツの文化政策もスバラシイですね。どんどん交流すれば新しい芽がでてくるでしょう。
さて本日はスーパーデラックスでコントラバス9台と二人の聾のダンサーの共演です。これは見逃せません。
https://www.facebook.com/events/834964449881581/?fref=ts
セバスチャンが来日直前に演奏したベースアンサンブルの映像が↓にあります。
http://jazzpages.com/…/sebastian-gramss-mit-thinking-of-bei…