8番勝負 ボッフム音楽学校
今日はヴィニシウス・ジ・モラエスのような、高場将美のようなウルフガングさんが加わります。チューバ・トランペット奏者、俳優、演出家です。私は俳優・演出家としてしか知りませんででした。顔というのは、当然内面を顕すものです。ヴィニシウス、高場さんといえば、最高の知性と文学性、そして音楽を女性を愛する代表的人類ですので、ウルフガングさんもそうに違いありません。
オルトの時のセバスチャンに比べて、インプロ経験が少ないウルフガングさんは演劇性を発揮します。寝て吹いたり、マーチのようになったり・・・。チューバの太い豊かな単音が聞こえると聴き込んでしまってコントラバスを弾くのをしばしば止めてしまいますね。チューバも響く響く。やっぱりヨーロッパの楽器です。
当然のことながら、メンバーが替わると全く音楽が変わります。また、今日の会場は普通に舞台があり、客席に椅子が並んでいるので、演技も全く変わります。観せる・聴かせるという感じがどうしても出てしまいます。それに抗ってもかえって不自然ですし、ともかくナチュラルを目指して進めます。音楽が多少、ダンスの伴奏という風に流れがちになりますが、そうならないようには気を付けました。伴奏風になったときに、聴衆の受けが良いですね。ここが踏ん張りどころ。「フツー」の伴奏にはならじ、と工夫します。
一本締めも決まり(FBに動画が上がっています)、トルコ料理店で打ち上げ満喫。私はいろいろな感情が渦巻いたので、この旅ではじめて多く呑んでしまいました。
翌朝、森で竜太郎さん撮影セッション。竜太郎さんは、自然と馴染むよな〜。
竜太郎さん・ハンディキャップ・インプロ・プロフェッショナル・ダンスとは何・音楽とは何などなど根本的な質問が日に日に起こってきます。鍛えられます。
「人はみな同じ」と「人はみな例外」が同時進行しています。簡単な二分法でありえません。竜太郎さんのサービス精神・明るさ・肯定が「生き死に」のモンダイだと言いましたが、ハンディキャップで無い人でも、権力指向の人、お金に執着する人、名前にこだわる人は自分の保身のためにそうするのでしょう。そのもとは生活のため、究極的には生き死にのためという部分があるはずです。そういう意味では「同じ」。
そして、「同じ人」が決していないように、人は皆、例外です。違いを認識すること・さらには違いを楽しむことが人生を命を豊かにすることも多いはずです。
煩瑣なことを考えなくても自然に生きて(それがムズカシイ)いればいいのです。その点では竜太郎さんは師匠ですね。
こちらで運転など何かと手伝ってくれている人は鬱で悩んでいますが、竜太郎さんのダンスを観てとても解放され、それまで決して参加しなかった打ち上げ(ジャンの即興を観るのも初めてだそうです。)に楽しそうに参加していましたし、ダウン症のお子さんもお母さんと、竜太郎さんのダンスを観にきて楽しそうに二人で写真を撮っていました。
それでいーのです。