待つこと・聴くこと・信じることは同じ、と言うことをいつも思い出すようにしよう、としてきました。この十番勝負「いずるば」編では、毎回思い出させてくれました。それはまた、「あたりまえ」と思ってしまっていることを「うたがう」ことでもありました。それこそが「表現」の意義であり、「即興」と言う方法の得意とするところです。
このような一見「青臭い」話を大まじめに・平気でできるようになったのは、歳を取ったから?病気をしたから?多くの人を見送ったから?・・・よく分かりませんが、今はとても「青臭い」ことを語りたい気分なのです。
参加した人達(出演者・聴衆・スタッフ)の多くが文章で、会話で多くのことを話し始めました。それはすばらしいことのように思います。「そもそも」のことを思い出したからかもしれません。そもそもなんで私はここでこうしているのだろう?そもそもなんで私は演奏しているのだろう、踊っているのだろう、歌っているのだろう、聴いているのだろう、観ているのだろう、手伝っているのだろう?なんで生きているのだろう?そこを刺激したように思えてなりません。
お金を媒介として人前で発表するということはどういうことなのか?いや、そもそも表現するとはどういうことなのか?という根本的なことも大いに考えさせられる出来事でした。
500円という入場料(それはすべて出演者の交通費になりました。足りないときもありました。)も大きな役割を果たしていました。多額の入場料の場合、聴衆は無意識のうちに「プロフェッショナルなすばらしい」ものを要求し、出演者は無意識のうちに「プロフェッショナルなすばらしい」ものを演じねばならないと思います。ヘタなことは出来ない、失敗は許されない、ソフィスティケートされたものを提出しなければ、自分しかできないことを披瀝せねば・・・。それが集中力と覚悟を生み出していればいいのですが、プロフェッショナルな演技とは何?ソフィスティケーションとは何?「良い音楽」とは何?「良いダンスとは何?」という個人のちいさな想像の中に閉じ込められてしまっています。
失敗するかも知れないけど実験できる、飛べる、思ったままのことができる。すばらしい瞬間です。ちゃんとしなければならないのだ、という「プロ意識」は時には邪魔になります。純粋に衝動にまかせて出来る幸せ。音楽をやって、ダンスをして生きていきたい、と思った頃の鮮やかな気持ちを思い出します。一方、聴衆は、すべってしまった出演者を批難すること無く、その人の気持ちを察し、意気を評価できます。十番勝負中何回も、聴衆からの参加がいろいろなカタチでありました。
「私やる側」「私聴く側・観る側」という区別が無用になり、いつのまにか、聴衆と出演者の気持ちが一つになっているのでしょう。そういう場こそが何かが「出ずる場」になるのです。
ながれ
パフォーマンス開始以前から作業が始まっていた池内晶子さんの絹糸インスタレーションは、曼荼羅のようでもあり、ポロックのドリッピングのようでもありますが、ともかく繊細そのものです。空気が動くだけで変幻していきます。大阪平野の全興寺の地下にある砂の曼荼羅を思い出しました。
だんだんと場が出来上がってくるので四人のコントラバスでそこを囲み、「糸」という曲のエッセンスを使った演奏で始めました。(勝手知ったるコントラバス奏者ばかりで楽でした。タイラー・イートンさんはマーク・ドレッサーさんのUCSDでの学生さん。今年初め森田志保さんの会で共演しています。)
この場、この音は、普通に言うとダンサーにはとっっっっても「おいしい」場面です。しかし、4人もいたダンサーは一人として出てこない!えっ、どうしたの? あっ、、、そうか、すすすばらし~。みんな「待って」いたのです。いやココロで「舞って」いたのでしょうか。あたりまえのように「美味しい場」で思いっきりソロをする「あたりまえ」をしない四人のダンサー。今日の色が決まったように思いました。
それでは、と、しばらく音だけで「場」を楽しんでから、竜太郎さんを誘い出して場が動き始めました。コントラバス四台の横弾きで糸の中心へ竜太郎さんを囲むと同時に糸曼荼羅は崩壊しました。糸がまとわりつく状況、私にとってはお馴染みでした。アスベスト館のワルシャワ公演(アバカノビッチさんとコラボレーション)で元藤燁子さんは繭にくるまれて登場し、ジャン・サスポータスさんは「チカラ(地から)」と言う作品ではエンジェル・ヘアーと名づけた糸を絡めて登場しました。
上へ向かって「おーい」と呼んだり、「何?」「誰?」と言いながらダンスをしたり、今までの5回がエコーしながら進んでいきます。竜太郎さんの父上が前回の打ち上げの際に「バッハのような曲が流れたら竜太郎はどう踊るんでしょうね?」とふとつぶやいていらっしゃったので、「アリア」の譜面を用意し直毅さん・じゅんこさんにメロディを、コントラバスで通奏低音・ハーモニーをつけ、サックスやアコーディオンは自由に振る舞ってもらいました。
アリアが終盤にさしかかる上昇するメロディの時に、「大変大事なものを風船というカタチで託された」気がしたというジャワ舞踊の佐草夏美さんが本当に大事そうに風船を捧げで中央で舞った瞬間。時の流れが止まった気がしました。そして、そのシーンはみんなで作ったシーンという気がしました。忘れがたい瞬間でした。
セバスチャン・グラム来日ツアー中10月22日のスーパーデラックスでのコントラバス9台と一緒にダンスして下さる庄﨑隆志さんと高橋愛さんが「最終日、観に行きます」というメールを前日にいただきました。「せっかくお見えになるのでしたら、是非、舞って下さい」とお願いして参加して頂きました。(愛さんとは初対面、この日のコントラバス4人もスーデラに参加します。お二人とも聾のダンサーです。)
様々なシーンが連続し、濃い時間が流れていきました。私はまた詳細を思い出せません。終わろうかな?と思ったときに時計を見ると50分位経っていました。もう少し出来るな、そうだ、1人1人に「竜太郎さん行ってらっしゃい」のデュエットをやってもらおう、と思いつきました。竜太郎さんは大変だったかも知れませんが、みんなの思いのこもった1人30秒でした。高橋愛さんと竜太郎さんのデュオなどは絶品でした。
手拍子・足拍子から聴衆も舞台に誘って一本締めが美しく決まりました!
ちょうど来月80歳を迎えるバール・フィリップスさんのために映像を送って欲しいとISB(国際コントラバス協会)から頼まれていたので、みんなでハッピー・バースデイを歌い収録。どんな空気が撮れているでしょう?異様に高揚したニッポンが世界に流れます。
6回どうもありがとうございました。感謝感謝です。
残り4回ドイツでやって参ります。FBで報告が有ると思います。あまりに「いずるば」編の6回が充実していたので、「もうドイツ行かなくても良いか?」なんて冗談が毎回飛び出すほどでしたが、それはそれ、しっかりやって来ます。そして十回終わった時に、その先になにが見えるか?