いままで書いた竜太郎さん関係のブログをFBで載せていますので、まとめてここで添付。
2006年05月05日(金) | Published in 日記
さて、入院中、どうしても休みたくない演奏があり、外出許可を取って演奏に行った。そういう義務感とか、ストレスが耳には一番よくないという話もあったが、仕方がない。サガ。
田園調布「いずるば」で初演した「満月に誘われて」(コントラバスとコ・ト・バ・)を、横浜馬車道エアジンでの再演。半年がかりで創った演劇仕立てのパフォーマンスで宗方駿(男優)笠松環(女優)矢萩竜太郎(ダンス)に私。宗方さんは岸田理生さんの所にいた役者で、私とも10年以上のつきあい。宮沢賢治/パウル・ツエラン/中原中也/白川静/大成節子/岸田理生(未発表のもの)らのコトバを演技を交えて朗読。それに、音楽・ダンス・書(乾千恵)が絡む趣向。初演はなんとかうまく終わった。竜太郎君とは兄弟の杯を交わすことになる。ダンスもとてもよかったし、出番を終えた後、感動して楽屋で泣いていた彼に、私は感動した。
演劇公演はどうしても大がかり。照明・大道具・小道具・音響などなど多くの人が関わる。それはそれでいいこともあるが、ライブハウス感覚でできないものか考えていた。ストラビンスキーの「兵士の物語」のようなものをやってみたかった。それで、横浜のライブハウスでの再演を提案したため、私が休むわけにはいかなかった訳だ。
いろいろな人たちのヘルプでなんとか現場に到着。久しぶりにさわる楽器でいきなりソロ。(ソロ演奏を第1部、音楽劇を第2部にした。)バール・フィリップスさんと楽器を交換した直後で、(自分の最後の楽器だと思っている)その最高の音を堪能したいのだが、いかんせん右耳はボーっと耳鳴り、400ヘルツ以下が難聴。気がつくと、「演奏している人間以外は、この楽器の音のすべてを堪能しているのに、、、、、、」。小説のエピソードになりそうな状況だった。何とかつとめを果たし、門限ギリギリに病院にたどり着く。
もう西洋医学ではこれ以上の処置はないということで退院。その直後の演奏は、大阪行きだった。必死の覚悟で準備をし、楽器をエイヤっとかついで東京駅へ。新幹線のトンネル、スピードに初めて恐怖を感じながら新大阪に着く。私鉄を乗り継いで、「千林」駅。大正時代の長屋で、鈴木昭男さんとのデュオ。
「ヤドカリ御殿」と名付けられたこの長屋では、もう何回も演奏してきた。大阪船場で「ITAN-G」というギャラリーをやっていた「たんぽぽ」さんがここへ移ってきた。平日の昼間のライブでもお客様が一杯になる。「ITAN-G」も私は大阪のホームグラウンドのようにしてきた。ライブ会場には、主催者やオーナーに似ている人たちが集まる。とてもやりやすい環境なのだ。鈴木明男さんとは長年会いたかった。私の演奏はどうしても「表現」してしまうタイプ。表現が過剰になるといいことはない。
それをどうやって克服するか私の課題だ。決して「表現」しない鈴木さんと一緒に演奏したら自分はどうなるか、とても興味があった。世界中の美術館でのインスタレーション、公園の設計、丹後半島での「ひなたぼっこの壁」などなどの伝説の持ち主。
会ってみると、とても素直な人。やりたいことを率直にやるという方法を確立しているのだろうか。周りの人を楽にさせる。演奏が始まると、「表現云々」に囚われていた私をあざ笑うごとく鈴木さんはかなり演奏性の高い演奏をする!こだわらない心の大事さを教わった気がする。私は「表現しない」という「表現」をしようとしていたわけだ。まだまだです。また共演したい人です。
乾千恵さんも聴きに来てくれ、演奏後、整体治療をしてくれた。彼女は死の淵まで行き生還したとき、本人曰く「おみやげ」に人を治す力をもらってきたそうだ。膠原病だったお母様を治してしまったのだから凄い。一ヶ月前、野崎観音でバール・フィリップスさんと私と千恵ちゃんのライブをしたときも夜、バール、私を治療してくれた。ヒトのチカラ!!
その晩、めでたく風邪をひく。整体では風邪は歓迎すべきいいこと、なのだ。翌日、鼻をグシュグシュしながら電車移動。今日はびわ湖ホールでクラシックの演奏。一昨年から続いている黒沼ユリ子さんのアンサンブルで、シューベルトの「鱒」、クロード・ボーリングの「組曲」を演奏。メキシコ在住のポーランド人ピアニスト、ヨゼフ・オレホフスキさんの音が痛い。
シューベルトの演奏では、ベースはピアノのへこみのあたりにいることが多い。この場所はピアノのフタからの音が直接響く。アタックの強い彼の和音は弱った耳にはきつい。とくに高音域。そっと少しずつ場所を移動してピアノから離れる。黒沼さんの音はリハーサルからドンドン良くなっていって本番にピークが来る。巨匠の音だ。耳が喜ぶ。私は、この楽器を使って、響きのいいホールでの初めての演奏。ガット弦の音が大ホールの最後列まで届いている感触。ただただうれしい。耳鳴りも難聴も忘れている。その筋では強者ばかりの共演者。ヴァイオリンとチェロ、ヴィオラとコントラバスの相性がいいとアンサンブルはうまく行く気がした。みんなが蝶ネクタイ、タキシード、ドレス、エナメルの靴なのに、私は黒シャツに黒スニーカー!失礼しました。
その晩、京都の知人宅に泊まる。風邪が進展している。早めに床につき、寝汗を数回かいた。翌日は京都市内の歯科医院、待合室でソロ。戦争をくぐり抜けた古い建物は味がある。ここでは自分の曲を主に演奏していく。一般に関西はオトナが集まってよく遊ぶ。すばらしいことだ。そして、こういう体調の時だと、主催してくれる人たち、世話をしてくれる人たちの情けが身にしみる。感謝の気持ちが自然にわいてくる。
たどり着けるか、から始まって、演奏できるか、になり、いい演奏が出来るか、になり、三日間が終わった。演奏できる限り、演奏する、という立場と心持ちを手に出来た気がした。きついスケジュールだったが、その分やり終わった充足感と将来への希望をもらった。
2006年10月13日(金) | Published in 日記
いずるばでのaction!さわやかに終了しました。なんとスッキリするのでしょう。こういう清々しい終わり方はとてもうれしい。一緒に行った娘も同感とのこと。月一回半年かけてやってきてこの四日間は連続してのリハ。岩下徹さんご苦労様でした。私は9月ジャンのツアーで参加できませんでした。10月に二ヶ月ぶりに参加すると全く変わっていました。
音に引っ張られないように、無音でも成り立つ方法をとっていたので、緊張関係がポジティブに働きます。健常者も障害者もプロも初心者も同じ土俵に立ち、私の音に緊張感を持って対応してくれます。音が役に立っている感じを持つことが出来て幸せです。
前日のリハーサルで、毎回新幹線で栃木県から通ってきた人が「どんな場面でも、全員一人一人を個人として感じることが出来ます。それがとてもうれしい。」と発言。まさにそんな感じです。全体が一つの呼吸になり、「いま・ここ・わたしたち」でしか出来ないことが次々と生まれていきます。まさに「いずる場」になっていました。
たとえば、本番でお客様が予想以上に来てくれたので私が楽器を30センチ動かしました。
その時、楽器の頭が壁にほんの少し当たりかすかな音がでました。その時は全員が壁を向いていて「さわりなさい」という演目でした。私の音をきっかけに動き出すことになっていました。
リハーサルではハーモニックスのかすかな音でやっていました。その時もそのつもりでした。しかし、全員が楽器の頭が壁に当たった音がきっかけだと思って動き出したのです。
こんなにセンシティブな共演者は滅多にいません。それも全員です。ちょっと感動してしまいました。私とデュオをやった竜太郎君は、以前ここで書いた私の弟分です。会う度に「あにき~」と呼んでくれます。彼のと即興デュオは毎回全く違った楽しいものです。
打ち上げでは、障害者との活動をしている方がたくさん話しかけてくださいました。
明日からは私も彼らもまた「生活」が始まるのだ!となぜか強く思った夜でした。
2011年03月28日(月) | Published in 日記
「できるだけシンプルに」ということを心に1年がかりで準備した「いずるば」の即興セッションが無事終了しました。「即興セッション」というタイトルも、シンプルそのもの、キャッチコピーも無しの黒いチラシ(中野和加子デザイン)。まったく味も素っ気も色気もない。
即興にはリハーサルは要りませんが、岩下さんと竜太郎さんは20年間のつき合いがあります。私と竜太郎さんは何回も想い出に残る共演を続けています。私の師匠の一人です。昨年のブッパタールでの共演をさらに先へ繋げようというのが私の個人的心づもりでした。時間ができると「いずるば」へ行ってリハーサルという名の共演を続けました。ダウン症候群の竜太郎さんは音楽が好き。無数と思われる数の歌を母親と共有しています。初共演の喜多直毅さんとも初対面からうちとけ「直さん、直さん、あのね・・・」と男子の内緒トークで盛り上がっています。
昨年だったらもう咲いていた桜坂の桜はまだつぼみが少し色づいた程度。地震・原発のこの状態の中で100名満員の盛況、何人もお断りしたそうです。パフォーマンスは演者と場と聴衆の総合だということが、ことさらに実感できる会でした。
重度の寝不足と不安とストレスで体調はかなり悪かった私ですが、はじまるとすべて忘れていました。前日の場当たり・リハーサルから1部・2部,誰から始めるかだけ決めました。「竜ちゃん・直さん」のデュオから竜ちゃんのイノセントな動きが絶好調です。「このごろ友達が悪いんじゃない?」と昔からの仲間に危惧されているらしい「直さん」も発見に満ちて生き生きしています。
当然ですが、ミュージシャンもダンサーも「良い演奏、良いダンス」をしたいと思います。そのために何年も練習したり、苦労したり、試行錯誤を繰り返します。しかしそこに思わぬ落とし穴がある。「自分が」良い演奏・良いダンスをしようとすることが,実は、マイナス効果を生んでしまうかを、あまり意識できていない。自分の満足で終わってしまうことをそれほど悪いことを思わない。実は、コレが問題なのです。
このことがより顕著に出てしまうのが即興でしょう。その時、その場での優先順位を瞬時に見きわめ、それを共演者どおし、さらには聴衆も含めて暗黙の内に共有し、お互いに未知の領域を冒険する、それが即興の醍醐味でしょう。自分に囚われることがどんなにマイナスか。身を投げ出す勇気と、相手に対する全幅の信頼がどれだけ大事か。自分が進んで、信頼しなければ、信頼されないのです。「待つこと・信じること・聴くこと」を自分の全存在を担保にするのです。演者の発見は、聴衆の発見とピッタリ同期して現れ、個人を越えます。「涙」で終わらせない。
陥りやすいこのことも、共演者・場・聴衆のちからで乗り越えて行く、というのが、身に染みて感じられる1時間でした。運転をマイキーに任せて、原発のことも忘れて打ち上げで盛り上がりました。
「いずるば」8月29日 竜太郎セッション ふたつの国のダンス
2013年08月12日(月) | Published in 日記
8月29日は沼部「いずるば」でジャン・サスポータス、矢萩竜太郎・齋藤徹のセッションです。
◆日時◆ | 8月29日(木)
19:00open / 19:30start |
◆会場◆ | いずるば
(東京都大田区田園調布本町38-8) |
◆出演◆ | 矢萩竜太郎(ダンス)
ジャン・サスポータス(ダンス) 齋藤徹(音) |
◆料金◆ | 予約2,000円(学生1,500円)
当日2,500円(学生2,000円) |
◆予約◆ | Tel.080-3584-3315(いずるば)
Mail. izuru38yry@softbank.ne.jp |
矢萩竜太郎さんには「アニキ!」と呼ばれていますが、実は、彼は私の「先生」なのです。
音楽ってなんてすばらしいんだ、できるなら音楽で生きたい、と思った頃の気持ちを思い出させてくれます。また、最近は演奏前ほとんど緊張しなくて「困って」いますが、初期は前の日からドキドキでした。そんな忘れてしまっている気持ちも思い出させてくれます。忙しぶって、仕事を次々とこなしていくことがどんなに危険なことかも教えてくれます。人前で何かをやることがどれだけ大変で、かつスバラシイことか、忘れてしまっています。
ある水準を保った演奏・演技をしさえすれば「プロ」だなんて傲慢です。「高い」技術や情報を披露する対価にお金をいただくという図式にはインチキが潜みやすい。即興がどーだの、振付がどーだの、最先端だの、とんでもない技術だの、かんけーありあしぇん。イノチガケの舞台にプロもアマもありまえません。そんなことを教えてくれるのです。
私の方法として、当然、竜太郎さんとジャンさんの出会いを作りました。もちろんうまく行きました。ダンスが下を向いてしまうことに疑問をもっていた彼の母親の意向にも合いました。ジャンさんも竜太郎さんはいろいろと気づかせてくれる「先生」であることをしばしば話しています。
3年前に私がブパタールのORTでレジデンスをしていたとき、竜太郎さんがやってきました。それでは、ということでジャンさんと私でセッションを組みました。ジャンさんの口添えもあり、ブパタールの腕っこきミュージシャン(クリストフ・イルマー、ウテ・フォルカー)が是非参加させてほしいと申し出てくれ、満員の聴衆の中でセッションが始まりました。
今までの経験だと竜太郎さんの集中力は15~20分程度だったのですが、40分~50分は続きました。ブパタール・ORTということは、ピナ・バウシュ、ペーター・コバルト、ブロッツマン達が作った伝統があり、物まねやいい加減な演技・演奏は即却下されます。目や耳の肥えた聴衆だらけで、70歳以上のカップルが自由な演奏・演技を楽しみにしている特別な街なのです。満場の聴衆が目に涙さえ浮かべて拍手をしていました。共演者側も思わずもらい泣きでした。
聴衆の中にいたプロデューサーから竜太郎さんに来年ドルトムントでの公演のオファーが来ました。彼のダンスが大事なものである証拠であり、あの時の共感が本物だった証拠でしょう。(ジャンさん、ウテさん、私も共演予定です。)
私が「いずるば」で演奏をするとき、アンコールがあると彼に入ってもらいます。実はこれはキケン。彼が全部さらってしまって、それまでの演奏の印象がなくなったりするのです。ジャン・サスポータス(ダンス)久田舜一郎(小鼓)岩下徹(ダンス)オリヴィエ・マヌーリ(バンドネオン)バール・フィリップス(ベース)ミッシェル・ドネダ(サックス)ベースアンサンブル弦311、高岡大祐(チューバ)天田透(フルート)小林裕児(ペインティング)喜多直毅(バイオリン)等々。豪華な共演者たち(被害者たち?)
今回は竜太郎・ジャン・徹のトリオでの会です。ちなにみ彼の一本締めは天下一品。是非一本締めをご一緒に!
こんにちはコントラバス@「いずるば」3月15日午後7:30より
2013年03月12日(火) | Published in 日記
↑ブッパタル・オルトでリハ時、声の即興
「あにき!とうとう俺の番がやってきたぜ。よろしくたのむ。」と言われたら「おーよ。みなまで言うな、万事まかしとき、」と言うしかありえません。正月のことでした。
というわけで、3月15日「いずるば」(http://izuruba.jp)で矢萩竜太郎クンと私の即興セッション「こんにちはコントラバス」があります。大田区田園調布本町38-8
19:00開場、19:30開演 料金1000円
問い合わせ:電話 080-3584-3315、メール:izuru38yry@softbank.ne.jp
もう結構長い共演歴があり、忘れられぬ想い出も多くあります。
初共演の時は演劇仕立てでした。終演後楽屋で突っ伏して泣いているのを目撃、声をかけると「うれしくて泣いちゃった」ということ。その姿に感動しました。私が忘れてしまった何かです。アゴラ劇場で鼓の久田舜一郎さんとも共演しましたね。何と言ってもブッパタールのオルトでのダンスは百戦錬磨のドイツ人聴衆を泣かせました。わたしもうれしかったよ。
311直後のセッションでは岩下徹さん、喜多直毅さんとのカルテットでしたが、竜ちゃんがすべてをかっさらっていきました。311直後、余震が続き、先行きなど誰もわからず、みんな不安で精神的にある種、異常事態でした。人々が普通のものでは満足できない、something elseが必要な時に、竜ちゃんのダンスが一番輝きました。幼児も踊り出しちゃってね。
ジャンさんの個人レッスンの最終日の2人の即興はすばらしかったです。言葉によるインプロが演劇を生み、ただの2本の棒が橋になったりしました。私が「いずるば」をお借りしたコンサートのアンコールではいつも出てくれています。ジャン・サスポータス、バール・フィリップス、ミッシェル・ドネダ、レ・クアン・ニン、オリヴィエ・マヌーリ、クリストフ・イルマー、ウテ・フォルカー、ベースアンサンブル弦311、師匠の岩下徹、久田舜一郎さんなどなどと共演しているダンサーなんてそうざらにいないぜ。
1時間くらいの即興セッションになります。
どうぞ、夜露死苦!
教えることは教わること
2012年06月02日(土) | Published in 「いずるば」, ジャン・サスポータス, ダンス, 日記
実は、ジャンは滞在中、矢萩竜太郎さんの個人レッスンも5回していました。私も通訳を兼ねて毎回参加しました。時にジャン側につき、時に竜太郎側につきます。竜太郎クンは「いずるば」の王子です。多くの人が忘れてしまったイノセントな感覚を持っています。2年前にブッパタールのORTでの竜太郎さんライブは、ジャン、ウテ・フォルカー、クリストフ・イルマー、菊池奈緒子、森妙子、私が加わった特別セッションでした。ORTの聴衆は謂わば百戦錬磨。その聴衆に深い感動を与えたことは特筆すべきことでしょう。昨年3月24日に「いずるば」で行われた「即興セッション」では、岩下徹・喜多直毅・私と共演。震災後不安に満ちた雰囲気を吹っ飛ばすダンスをして私たちを引っ張ったのは誰あろう竜ちゃんでした。
かく言う私も初めて共演したときに、楽屋の部屋で突っ伏して泣いている彼を見て「どうしたの?」というと「うれしいの」の一言。ダンスをして嬉しくて泣いてしまう、こういう感覚を私はどこかに置いてきてしまった、と思いました。
個人レッスンの場合もはじめはストレッチからです。ジャンはいろいろと工夫を凝らしてレッスンをします。インプロの時の冴えは、どんなプロの共演者さえも凍り付かせ、彼の「聴衆」にしてしまうインスピレーションと集中力があります。しかし、ダウン症の彼は「意識をする」ということが「違う」ようです。一見、覚えることができないように見えますが、それは違います。覚えるということが違うだけで、一旦覚えたことは決して忘れません。小さいときからお母様と何百という歌を歌い続けていて、そのすべての歌を覚えています。違いは個性です。
ワークショップでありがちなことですが、難しげなことを言ってわかった雰囲気にさせることはできません。相互交通であるべき「ワークショップ」の本来の在り方を突きつけられます。動かないこと・踊らないことも大事なテーマにしました。そして4回目、「いずるば」に着くと彼はドラムを演奏していました。好きな音楽CDをかけながら楽しそうに叩いています。打楽器的な感覚、声、言葉を取り入れることにしました。言葉を自由に使う設定での彼のインプロは冴えに冴えまくっていました。
5回が終わり、プレゼンテーションとして親しい人をお招きして30分の会がありました。この時も後半にインプロ演劇ダンス(タンツテアター)になり、気の道の杖を2本持ち出したジャンが杖を床に置くと、たまたま杖が平行になりました。すかさず2本の杖を「道」にみたてた竜ちゃんは「この道をわたって」という場面を創りだしました。そのインスピレーションにはしびれました。
教えるとは教わることなり。
ブログより2013年9月
「美しい」という言葉は、心で思っていても、ほとんど使いません。なにか気恥ずかしい。しかし、8月末の3公演に関しては、大声で言いたくなりました。みんな美しかった。強烈に信じている、それは狂気と言えるほど。半端な動機ではなく命がけ。庄﨑さん、貴田さん、竜ちゃん、直毅さん、純さん、じゅんこさん、ジャンさん。
「いずるば」の冒頭のシーン。何も決めずに舞台に出て行った3人。それぞれの椅子にすわります。みんな動きません。お客様と面と向かって何もしないというのはなかなか大変なことです。気詰まりでもあります。永遠と思えるほどの時間が経ち、誰が先に何かを始めるかな?という興味さえなくなったころ竜ちゃんが「夜空の下には・・・」と即興詩を紡ぎ出しました。これですべて決まった、と思いました。気詰まりで待つ事ができないのは「他人」を信じていないだけでなく「自分」を信じていないことになります。後は悪循環。
キッドアイラックホールでは、庄﨑さんと私がなぜかシャンプー合戦のようになり、私の眼鏡が落ち、それを庄﨑さんがかけると、庄﨑さんは私になりました。演奏家は演奏する、というのも決まりではないのでした。物理的には聞こえていない貴田さんは私のビートに乗りおどり、逆に私を煽ってくるほどでした。弓を渡すと臆することなく楽器を弾きます。次のシーンでは実際の弓を持たずに楽器を弾きました。音が聞こえました。その音のかたまりを私が受け取って、音の粒を上から撒きました。
「うたをさがして」では、うたが希望になることを伝えています。そう書くと何かつまらな~い話のようですが、それがそうではないのです。何かを思い出させてくれます。ギリギリの状況。う
た。