ブラジルと韓国

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ブラジル音楽のリハーサルが続いています。何かと話題になるのは、タンゴとブラジル音楽の違いです。特に喜多直毅さんが長年のタンゴ人生から先日の豪華客船の旅を経て、四方の海を眺めながら、急にブラジルに開眼したこともあり、ありありと差を感じているようです。もう、本当に違う。リハーサルのやりかたから違います。まず温泉に行ってから始めたり、家庭菜園の工夫話に時間をかけたり、終盤にはアルコールが出たり、終わった後は会食・雑談に花が咲きます。ピアソラのリハではありえません。アレンジもゆるゆるです。それが必要不可欠のようなのです。

 

自己表現か否かが、まずあります。器楽中心で自分にしか出来ない技巧やアレンジやソロで他と峻別していくタンゴに対し、まず歌・歌心・踊りがありそれを人々と共有したいというブラジル。アルコール・ドラッグに落ちていくタンゴはジャズと似ています。形式を重んじ、カッコを付け、見栄を張りながら男の泣きを歌う。腐っていくものの中にキラッと光る美がある一方、私の愛するプグリエーセ、ピアソラは力強い「肯定感」に溢れています。一方ブラジルは、良い歌や踊りが無いとやっていられない、生きていけないというのが原動力ではないか、と長年ブラジルに住んだ翁長巳酉さんが言っていたのがいつも引っかかります。

 

今回取り上げる曲は、ジョビンやシコ、エドゥロボなどのフランス近代音楽系のハーモニー溢れるものが多いです。元々がメロディ、リズムしかない野蛮な私にして、強く惹かれるハーモニーです。こんなに豊かな音楽は20世紀の大切な遺産でしょう。20世紀のポピュラー音楽はタンゴ、ジャズと同じく、アフリカとヨーロッパの折衷によって出来ているのです。

 

アジアはどこに?

 

7月23/24日のソウル公演の宣伝の写真を偶然見つけました。学生時代にちょっと習ったのでハングルをどうにか読むと、齋藤徹・沢井一恵と書いてありますね。

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ユーラシアンエコーズの流れ、オンバク・ヒタムの流れからアジアの音楽が生まれないものでしょうか?

 

 

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