ミュージシャンシップとは、音楽に関わる人間として備わっているべきものと思っています。プロ・アマの違いは何?とかを越えたコトバと思っています。
ユーラシアンエコーズ第2章の時にも、それに関係することがありました。こういうことはなかなか表に現れません。韓国から来た伝統音楽家・舞踊家・即興演奏家は、国立芸大教授、伝統音楽オーケストラ首席指揮者、劇場を所有する演奏家、というように社会から認められ陽の当たる表街道を歩んでいて、眩しく見ていました。(それにひきかえ、こちらは・・などとは言いますまい。ハイ。)いつも笑顔で朗らかにのびのびと音楽を楽しんでいる彼らにしても、昨年来日の際、「なんで日本なんかに行くんだ?」というコトバを浴びてきているのです。
反日法(親日反民族行為者財産の国家帰属に関する特別法)が2005年に発効しているし、いまだに、日本語の歌は禁止されているという現実を身近に感じることはなかなかできない。政治のために反日感情を利用している、という言説だけでは、皮膚感覚の実情を知ることは出来ません。
リハーサルでは、集中力とインスピレーションを保ち、なんとかこのコンサートをすこしでも良いものにしたいという気持ち、一緒に音楽を楽しもうという気持ちは大変素晴らしいものを感じました。ここに、なんら政治も反日もありえません。音楽と踊りだけがありました。
姜垠一さんと喜多直毅さんのデュオなどは、劇場全体を凍り付かせました。幸福や希望という青臭いコトバが素直に浮かんできました。
その姜垠一さんが今月韓国の国立劇場でコンサートをするに当たって、私と沢井一恵さんを招聘しました。(直毅さんはすぐに必ずや行ことになるでしょう。)ソウルの国立劇場に日本人を呼びコンサートをするなんて、日本に行って演奏をする何倍ものプレッシャーがかかるでしょう。そんなことお構いなしに、招聘してくれた、このことに私は真摯なミュージシャンシップを感じます。
音楽を、人を信じて、日常活動を粛々と続ける、このミュージシャンシップこそが私たちの社会に対する・政治に対する答え。
沢井さんの弟子でハーバードの学位をもつジョセリン・クラークさんがこのコンサートに関する記事を書いてくれました。
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「歳月を奏でる」
どのようにしてカヤグムを演奏するようになったかを聞かれると、普通はありきたりの答えをしますが、くわしく答えるならば、それは26年前初めて箏演奏家沢井一恵に出会ったときに遡ります。彼女は当時(1990年代)日本において、今日の韓国が取り組むべき問題に取り組んでいました。それは、どうやって国楽を現代の演奏家・聴衆に繋げていくかということです。
当時日本ではすでに伝統楽器の普及は進んでいたので、沢井一恵のひとつの方法は、日本人以外の人達と関わりを持ち、箏を弾くように促すことでした。このようにして彼女は日本の伝統音楽を内外の若い世代に魅力的(セクシーに)惹きつけることに成功したのです。
私に関しては、スペースの関係ですべてを書くことはできませんが、簡略して書けば、沢井箏曲院で数年習った後、中国でチェンを習い、1992年に奨学金を得て韓国へ来て国立国楽センターでカヤグムを学習しました。
韓国に来てすぐに国立劇場がユーラシアン・エコーズコンサートを企画し、韓国の伝統音楽家(姜垠一など)と日本の伝統音楽家(沢井一恵など)ジャズ演奏家(齋藤徹)とのコラボレーションがありました。このコンサートを聴くために私はヴィザをオーバーステイしてしまいました。
このコンサートは、心に残るものであり、私の全音楽人生に渡ってインスパイアーし続けています。この度、国立劇場で行われる「歳月を奏でる」は、まさにこのコラボレーションから生まれました。特に釜山をベースに活躍していた巫族の故金石出の名前の英語読みをタイトルにした齋藤徹の1995年の作品「ストーンアウト」が、齋藤徹と沢井一恵と韓国のヘーグムのスター姜垠一そして、彼女のヘーグムアンサンブル「ヘーグムプラス」を繋ぎます。
先のユーラシアンエコーズコンサートのときは姜垠一はまだ20代でした。しかしすでに彼女の演奏には、特に齋藤徹作曲の「月の壺」での演奏では、今回の「歳月を奏でる」コンサートへ実を結ぶ種を聴き取ることが出来ます。
20年前のユーラシアンエコーズのプログラムブックレットで悠雅彦は「蓄積されない音楽(何かのために使われ、消費されるだけの音楽)ほどつまらなく空しいものはない」と述べています。言ってみれば「クレージーでセクシーでカッコイイ」Kポップが韓国の音楽として外国人に売られていくことを思い起こします。
それとは違い、「歳月を奏でる」での音楽は、20年の時間をかけゆっくりと発酵したコラボレーションであり、さざ波では無く、深く大きな海で「歳月を奏でる」のです。
昨年の夏、日本でのユーラシアンエコーズ20周年リユニオンコンサート、この「歳月を奏でる」コンサートで、ヘーグムプラスアンサンブル、ベース、カヤグム、ピリに加え、パクドンジン(物故したパンソリ歌手)の若き弟子も加わり、姜垠一、齋藤徹の作品を演奏することで日本と韓国の伝統音楽の新しい文脈が築かれるのを目撃することが出来るでしょう。
かつて悠雅彦は、ユーラシアンエコーズでは「共存の歓び」すなわち「人類の将来にむけた方法」を聴くことができるだろうと述べています。その「将来」は「いま・ここ」にあります。私たちは「歳月を奏でる」の音に従い、前進すべき道を見つけるのです。
ジョセリン・クラーク
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私がDVDに書いた文章は↓
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ユーラシアンエコーズ第2章
22年前に「ユーラシアン弦打エコーズ」コンサートをしました(今回も参加したのは、元一・姜垠一・許胤晶・沢井一恵と私)。日韓の伝統の持つ「力」「しなやかさ」「過激さ」を感じたと同時に現代的な「自己表現」のむなしさを感じました。その元にあったのは「うた」に象徴される身体性の圧倒的な力強さだったと思います。「オリジナリティあふれる」などと言っても、長い時間を経て残っている伝統の歌や踊りにかなうわけがありません。しかし、わたしにとって今から伝統の世界に入ることは不可能です。一方、伝統を「守る」だけでは伝統は続かず「異端」を取り込んでこそ「伝統」が続くのではないかととも想像をします。ともあれ、何か貢献したい、この気持ちを多くの人と分かち合いたい、特に日韓の若い世代に伝えたいと22年間思い続け、2013年8月8日この企画を実施したのです。
「ユーラシア」と名づけたのは日韓二国間関係に閉じること無く、ユーラシア大陸の東にある二つの国という視点を持ちたかったからです。そして二国の「違い」こそを糧に豊かな交流ができないかと念じました。この20年でそれぞれの演奏家も、日本も韓国も世界も変わりました。
前回なかったダンサーの参加は、多くの窓を開け放ち、大きな歓びをもたらしてくれました。ジャン・サスポータスは、モロッコ生まれでヨーロッパ育ち、ピナ・バウシュカンパニーのソリストです。彼の参加で「ユーラシア」の意味合いがより鮮明になりました。また、韓国のダンサー南貞鎬も参加。奇遇にも二人はパリで同じ師についていたことがあったそうです。
ダンスは何かを探す仕草であり、音楽は何かを呼ぶ行為だ、という説を信じています。ダンサーの探す指の先に、ミュージシャンの呼びかける声が交差し、反応する。それこそが将来に繋がるものだと思います。
私は韓国の伝統音楽に触れて「信じること」を学びました。人を、音楽を、言葉を、愛を信じることです。そして、音楽とは「効果」や「自己表現」ではなく、内に向かう「問いかけ」であり、個人を越えたものであることに気がつきました。生きていることすべてに通じることなのです。舞台上ではジャンルを越え、国を越え、民族を越え、年齢差を越え、すべての人が対等な美しい真剣勝負でした。
演奏したのは、韓国・東海岸シャーマン金石出さんと、箏の沢井一恵さんに感謝をこめて作曲した組曲「Stone Out」のユーラシアンエコーズ第2章バージョンです。
組曲「Stone Out」(1995年 齋藤徹作曲)
1:序章 リズムの生まれ
2:とんび
3:知らせ~嘆き
4:慰め
5:送出
6:終章
2013年 8月 8日(木) 19:00 四谷区民ホール