さて、Mesa(ブラジル音楽の食卓へようこそ)のLIVEが近づいてきて選曲に苦心しています。「好きな音楽と自分が演奏する音楽は違うのだ!」と信じ、30年以上、演奏を避けてきているので、余計大変。また、すばらしい曲を知りすぎているので更に大変。また、広大なブラジル音楽の領域のどこをとりあげるかで大変、そして、そして、「今・ここで・私たち」が演奏する動機をシッカリ確認することが何より大変です。そのため昨日の投稿にもなりました。
外国の音楽を演奏することの難しさは知っています。現在の音楽活動の大半が自作か即興というのもその結果です。早々にジャズを諦めたのもその結果です。かつてピアソラの音楽だけを集中的に演奏したことがありました。好きが高じて、もうたまらん、やるしかない、という感じでした。あれほど好きなデューク・エリントンでもチャールス・ミンガスでも無く、ピアソラだったというのが不思議です。
その時、共演者と確認したのは「ピアソラ本人と同じステージで演奏しても堂々とできるように」でした。(実際、35歳の私はピアソラのグループに入るんだ!鼻息!という気概を持っていました。高場将美さんにCDを渡して欲しいと頼んだのです。)最初の録音が1990年(「Tetsu Plays Piazzolla 」)。その4年前、ブエノス・アイレスに気軽な気持ちのエキストラで行って、プグリエーセと一緒に演奏したりして、だんだん今やっていることの意味・おそろしさが分かってきて、知恵熱が上がり、ミイラ取りがミイラになる、チェ・タンゴ・チェでした。奇しくも、昨日の投稿にあった1986年です。マルビナスの最中でした。私にとっても最もエポックな年のひとつで、初録音ソロ「Tokio Tango」(LP/CD)を出し、高柳昌行さん、富樫雅彦さんという二大カリスマのグループで演奏していました。
(当時私の周りで、ピアソラに興味のある日本のミュージシャンの筆頭はその高柳昌行さんでした。彼はスリー・ブラインド・マイスレーベルにピアソラ曲「鼓動」を録音しています。鼓動を表す音は井野信義さんが箱を叩いたという話を聞きました。)
その時も、2枚目のピアソラ曲集(小松亮太さんの入ったCD「アウセンシャス」、私のCDの中ではいまだに最大の売り上げです。)も、3回目(千恵の輪トリオによるピアソラツアー)も、4回目(コントラバストリオ)でも、有名曲は極力排除していきました。リベルタンゴ、アディオスノニーノはやりませんでした。ピアソラを聴き込んで、聴き込んで、聴き込んで引っかかった曲の中から厳選しました。選曲こそ、私のピアソラだったのです。
さて、その時よりも、もっともっと困っているのが今回の選曲です。今回は違う方法を考えています。有名曲も超有名曲もどんどん取り入れます。聴き込まなければ通り過ぎてしまう曲も取り上げます。そして今回は歌が入るのです。それもこれも、さとうじゅんこさんという才能に出会ったから実現出来たことでしょう。歌が映える曲、いや、歌無しには成り立たない曲を多く取り上げます。語るようにうたうスタイルではなく、エリゼッチ・カルドーゾ、エリス・レジーナ、ナナ・カイミと繋がってきたあの流れです。また、器楽的にたいへ~ん難しく、かつ、た~いへん楽しいショーロも歌ってもらおうとも思っています。昨日もイヤミを書いてしまいましたが、所謂、クールでオシャレでセレブな午後のティータイムのブラジル音楽ではありませんが、私たちにとっては充分クールでオシャレです。そこんとこ夜露死苦。
なにかが生まれる予感です。