私にとって「即興」は「作曲」の反意語ではありません。
「常識」、さらにいえば「自分自身」の反意語です。当然「うた」の否定ではないわけです。3年前発足した「うたをさがして」トリオ(さとうじゅんこ・喜多直毅・徹)の活動、その拡大版として2014年1月にそのものズバリ、オペリータ「うたをさがして」を上演しました。昨日の喜多直毅さんとの「即興」も裏の意味で「うたをさがして」と言えるのです。
フツーではアリエナイ「うた」をさがします。それはどこにあるのだろう?うたが生まれそうになると、「いや、まだまだ、もっとあるはず」とでもいうようにカタチにしない。断片としてうたがいくつも現れては消え現れては消えました。自分という身体を通して、そして、コントラバス・バイオリンという楽器を通して出てくるうたにそっと耳を傾けて「聴く」、そのためにじっと「待つ」、そういう自分・共演者そして聴衆、場を「信じる」。それを実現するには「即興」という方法がピッタリしているのです。
この方法でしか得られないうたを全体として感じることができました。
共演者・スタッフ・聴衆・遠くで思ってくれた人たちみなさんに感謝!