海童道2

海童道

 

生前にお目に掛かったことが有ります。打楽器の豊住芳三郎さんが共演をしていました。新横浜のオルタだったかと。こんな厳しい文章を書き、実践していることは承知していましたが、ご本人はいたって柔らかな印象で時々は「お茶目」な面も平気で見せます。「雨の日などは、あ~あいやだな~。修行に行きたくないな~と思うんですよ。」とか親しみやすいのです。言っていることと実際の差を云々するのでなく、1人の全存在として魅力がある人でした。顔色もつやつやしていました。何より音がスゴイのですから・・・

 

昨日の続きを書きます。この「海童道書」なるものをどこかで拝見できぬものかと願っています。情報をお持ちの方、お知らせ下さいませ。

 

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 音は空気の振動である。振動数の多少で高低の響きが現れ出る。近頃は空気が振動しても鳴らない音も波及する。この音は自然上よりするのではなく、機械面より生じて人体を包んで害する。

 音楽が音の種別を選び出して構成されるに対し、海童道には、空気の振動のみでない音がある。

 この音でない音を道力の音をいい、それは気、黙、観、其の他というように、錬磨体達された精神の振動によって、人間の動作がこれを現前する。

 音楽家と批評家の人々は、楽器を唯一なすために、一切を楽器の固着した音色通りに進行させ、それによる楽器重奏や新曲演奏を優秀とする。

 実際は優秀どころではない。精神は楽器に束縛され、それに奏者が音盲の場合には音楽の生命が崩れる。それなのに平気で演奏し、優秀とする。

 こうして誤りが起こるのも、音楽家の耳が悪いというより、楽器の外に自力を発揮する自主性の在り方が弱い。即ち感覚が頗るにぶい点にある。

 

 

 人間は、日常に少し寒ければ直ぐに暖房にひたりたがり、一寸暑ければ早や冷房を欲する。このように直観の感覚を持っている筈なのに、音については感覚がにぶるのはどうした訳なのか。

 なお寒暑のみでなく、喜怒哀楽という風に、人間は感覚の作用に活きる。音を取り扱っても、単に音が現されているのではなくて、音を通じて、そこに自己の感覚の程度が示されている。

 感覚がにぶいという状態は、その人が弱い面を暴露している。海童道が人間という個の存在を錬磨するのも、感覚の作用を鍛えるためであり、感覚の作用とその実践を含めて生命力とよぶ。

 

 

 さて寒暑の差を鋭く気付く人間が、音の点では感覚がにぶり、哀れ音盲の状態におち込むとは、矛盾の程度も甚だしい。これも感覚が一種の病状にかかっている弱さであり、人間の生命力よりすると、音盲というよりも感盲の方が正確である。

 世上を見渡すと、感盲の病人が一杯いるも、こんな生命力のない病人になりたくない。一たび感盲にかかると、音楽家などは、今まで弄びきた音面にとりついているので、感盲を自知することが出来ない。この病状を容易には治せない。治せないのみか、永久に感盲のままで終わっていく。

 これでは自身の弱さが強まる。治すことに努めよである。処がこの病状なのに、自身の感盲を悲しまないで、感盲そのままを門下に教えているし、更には他人の音痴ぶりを嘲笑する始末である。

 

 

 音盲即感盲を治すには、音に対する態度を考える。まず初歩の修行に還って、音の一つ一つの基本を鍛え直す。ということも、最初に音器を持って習いだした初歩の際に、音が自由に出ると、後は曲数を覚えることだけを追って、肝心な音の基本を充分にしっていない有様を示している。

 これは曲数の練習だけに止まり、音の修行という努力を積んでいないことである。そこに感盲となる起因がある。そこで再び音の修行をやり直すのであり、これが微妙な感覚へ至るのである。

 微妙な点については、具体的には呼吸の用い方の深浅に繋がるので、その工夫と錬磨が入る。

 

 

 ついで、音器が自由に操作できるからとして、無意識に音を発しては駄目である。これは音器にたよって音を出す安慰な出し方であり、これも感じがにぶることになる。これには思考を加えて出すが、詳しくは「吹定について」を参照とする。

 以上のような修行をするためには、感盲の人自身の力ではなし得ない。優れた師について導きを受けるにあり、そうして次第に治す。併し優れた師と想ったのが、実は同じく感盲である場合も数多く、師を得るのが如何にむつかしいかである。

 何と言っても感盲を治すために厳しさを要すが、大方の病人は厳しさと聞くだけで嫌う。そんな気安さを求めては治らない。治すのも他人のためでなく、自己を強力化するためである。感盲になずむと心身がそれを正常と思い、安慰な治し方ではききめがない。それほどに治しても治し難い。

 

 

 感盲の人の音楽をきかされると、気持ちが悪くなるだけでなく、頭痛して食事とてもうまくない。

 かつて禅門の老師の頼みで、バイオリンの名手だったという芸術家の曲をきいた。その音盲のひどさに参り、盛んな引きとめを断って逃れた。

 また湖底へ沈む村の最後会に迎えられ、懇望によりて郷土名物の人形浄瑠璃を見耳した。唄も三絃も音盲の連続であり、すっかり疲れ果てた。

 今度は私(道祖)の縁より発して、無形文化財に推された某伝統琴を、文部省無形文化課長、著名な批評家達、それに私と風折師範の案内役である某警察署長と共にきく。これまた感盲の極であり、それを批評家達が感服する。全く呆れて了う。

 なお日本の縦笛をきいても音盲ばかりであり、この音楽に従事する人全てが音盲のようである。

 これらの人々が製作する縦笛を、どんなに吹いてみても音盲式で本来の味が出ない。従って何千本と製作しても、名笛の完成は無理であろう。

 

 

 私が子供の時から音楽殊に日本音楽が大嫌いであったのも、音盲をきかされていた故であろう。

 往時は音盲の音楽ばかりで、誰人も不審がらない。前記の伝統琴もその例である。ある三絃の名手と自負する老体に、若年の私が音色がおかしいと告げた。相手は絶句し、それから叱られた。

 普化宗と称す曲も、どれほど真実なものかわからない。殆どいかがわしいのであるが、どの曲も全部が音盲の曲であり、これを護生大事に吹いている人も総て感盲であった。この不審な音盲の曲を現在でも有り難がる人がいる。虚飾の歴史をきいて、そうなるのであるも、役に立たない歴史を拝して有り難がる音盲の姿は、哀れ噴飯ものである。

 当然そのままでは吹けない。折角に伝承したものの、全て捨てて了うつもりであった。併し思い直して新たな生命をいぶくこととし、それには全部の音盲曲を鍛え続けて、漸く海童道の吹定に用いる道曲と化すも、非常な苦心と体達を要した。

 

 

 海童道の吹定にも感盲の人がいる。海童道を学ぶ以前に、世上の笛では上手とされていた人ほどに、海童道の錬磨につれて感盲が現れる。

 このことが海童道と音楽の相違であるというが、誤りであるものは、区別なく誤りである。

 修行中に感盲とわかればショックであるが、人一倍に骨を折って治すにある。高段へ昇ると絶対に感盲であってはならない。高段者は自らが、厳しさに入って、修行と体達へ励んでいく。

 この境地でなくては、やがて独自境を挙揚して人々を導く一派の祖となる道力が生じない。

 吹定道具も既達の縦笛作りと同様に、一本も自在な道具が生まれ出ない。よって至難な道曲の吹定も不可能で、いわゆる手を封じられている。

 尤も道具の研究により今後に良品が生まれ出るであろう。制作側も懸命である。もし生まれ出た節は、封じ手も解けて至難な道曲を吹定し具現する。

 音痴、音盲の外に、音狂がある。これは主として吹定道具とか各楽器とかの音器の良否に応じて現れ出る音の基本の狂いをいう。なお人間自身も錯覚した刹那に、やはり音狂の状態となる。

 錯覚は精神の疲れている場合に起こる。それはとっさに分裂して、その時にきいた音も、音の種別を間違える。例えば未明に飛び起き、未だふらつくつらさの折りに、激しく響く雨音をきく。戸外にでると、それは雨音ではなく樹々を吹き渡る風音であった。つらさが瞬間に錯覚を起こしている。

 音痴は雑然と鈍感を示し、音盲は微妙と変化を欠き、音狂は錯覚と幻想による。みな感覚の作用を弱めて、生命力を消極化す。直下に鍛えよ。          (海童道書より)

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