百聞は一見にしかず・・・
そうだよなぁ、と思うことしきりでした。
コンテでのワークショップの終わりに小さな発表会を作り、私が音をつけて、6つの演目をし、それが終わった後にジャンとのデュオをやりました。そのことでワークショップで話したことの合点がいったと言う感想が大変多かった。
そうだよなぁ、いくら一生懸命に話しても相手がイメージできないとか、相手に伝わらないことは多いのです。しゃべることが上手であれば楽器はやっていません。そんな当たり前のことも忘れがちでした。こんなに一生懸命にしゃべって、考えているのだから伝わっているという幻想の中で忘れてしまうのでしょう。
レッドベリースタジオでのwith齊籐智仁も充実した時間でした。1ヶ月ほど前、智仁さん曰く「一生分」の勇気を奮って千葉の私の家やドイツのジャンさんの家を訪ねて来ました。そういう時期ってあります。私には1986年だったようです。高柳昌行さん、富樫雅彦さんのグループに入るは、ブエノスアイレスに行くは、ソウルに行くは、初録音「TOKIO TANGO」を出すは、、、それらの財産で現在に至っている気さえします。
否定することは「たやすい」し「ただしい」ことが多いのに比して、肯定するのは難しかったり、恥ずかしかったりします。それを後押ししてくれるのは「人 ヒューマン ヒューモア 繋がり」。私はジャンが「beautiful」と言うのを聞くのが好きです。彼ほどこの言葉が似合うヤツはいません。そう言えば太田省吾さんがピナの作品を「肯定の文脈」と評していました。
自分のすべてを投げ出して即興するときは、その人の日常・考えがすべてさらけ出されます。気恥ずかしくてしかたないけど「真・善・美」を信じていますと言える自分でありたいです。この打ち上げでの写真を見たら説得力ないけどね。