ヴィブラート・音叉

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ヴィブラート・音叉

 

 

 

ヴィブラートについて昔からいろいろと考えてきました。そもそもいったい何なのか?まだわかりません。気持ちが良い時も悪いときも有ります。ヴィブラートの範疇を超えた韓国の伝統音楽奏法も大好きですし、アルバート・アイラー、ビリー・ホリディ、淡谷のり子、美輪明宏の大きなヴィブラートにも興味あります。

 

 

 

ゲイリー・カーが初来日のころ、クリニックで右耳と左耳と聞こえ方が違うのでそこに作用するのだろうということを言っていたのが記憶にあります。

 

しくじった音程を隠すために使うヴィブラートはキライです。特にコントラバスでのそれはゾッとしてしまいます。逆に古楽器ではあまりヴィブラートを使わないので好ましいです。

 

 

 

人間の身体の70%が水分だと言います。(地球の海の割合と近いのは偶然でしょうか?)

 

身体という器に入れた水が振動により小さな波を立てる、そこで時の流れは止まり、生きている実感が生まれ、動きたくなり、ダンスが生まれる、と考えたことがあります。(器に入れた水というと白川静説の漢字の由来を思い出します。聴くことと待つことは同じ。)

 

 

 

きっと音楽学者や音の科学者は解明しているのでしょうが、私なりの感覚では「うなり」がどうもあやしい。近い音程を一緒に出すと「うなり」を生じます。二つ以上の音が重なった時の差で生じる響き。これはうまく使えば、時の流れを止め、人を「耳と耳の間で座っている」(アイヌ神謡集)状態にさせ、コトバ以前のダンスへ駆り立て、何かを探し始める。

 

 

 

最近、5月1日に共演予定のジャワの踊り・佐草夏美さん宅にガムランの初歩の初歩の初歩を学びに行きます。ご主人のさそうあきらさんも指導してくれガムランをおそるおそる触りました。長く伸びる音をミュートして(切って)次の音を出すのが基本ですが、私は前の音を切らないで混ぜた音がともかく好きでした。ガムランに詳しい録音の小川洋さんも私の耳が病んだと聞き、インドネシアに行ってガムランの中に浸ったら良いんじゃない?とアドバイスしてくれたのを思い出しました。

 

 

 

そういえば、延ばす音をブレンドすることはずっと好きでした。ハーモニックスにこだわり、ガット弦アンサンブルにこだわるの元もその辺に有りそうです。ありきたりでない自分なりのヴィブラートを手に入れたいものです。

 

 

 

 

 

 

 

音叉は難聴の検査のために使われてきました。どこから聞こえなくなるか、あからさまになる憎っきブツです。(私は右耳の中音域から下が聞こえません。)しかし、最近はこの二種類の音叉をキーン、コーンと鳴らしています。

 

 

 

小さい方はクリスタル・チューナーと言い、水晶にぶつけて音を出します。友人のバースデイプレゼントで知りました。浄化する音。ジャンと暗い話になったり現行政治の話になったりするとキーン、キーンとならします。浄化された気分になります。

 

 

 

一方、大きい方は細胞を再生するという音程を出します。「もう一回、せめて自分の出している音を全部聞きたいな~」という願いは、オカルトまで平気で行ってしまいます。オカルトでもipsでもstapでも何でも良いのです。

 

 

 

この528ヘルツというのは今の音程でいうと「ド」の音に近いです。

 

 

 

すべての調性に意味があるという話も分かります。Fminorは哀しいし、Dmajは楽しい、このくらいは絶対音感のない私でも分かります。よく「あいつはC調だね~」と軽い人間を揶揄するのに使いますが、調律されたピアノで聴くCmajは本当にチョウシイイ感じに聞こえてしまいます。

 

 

 

 

 

音は、明らかに人間の思考・嗜好を越えています。自分が出す(present)なんて思わないで、自分を通して出てきた音を謙虚に聴く、そんな自分でありたい。

 

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