北の大地と人
なにかしらのご縁があって私の活動は細々と続いています。かつては大阪ばかりだったり、福岡だったりしましたが、このところ北海道です。年に1回は北の空気に触れないと健康上良くない体質になっています。夏、陽に焼けず真っ赤になるだけの私の皮膚は遠いシベリアやモンゴルから来た証しなのでしょうか?
都の人達は、いくつもの役割(職業・学校・家庭・余暇・移動・近隣・趣味などなど)を演じ分けその度に仮面を使い分けます。気候、風土、煩雑すぎる関係、多すぎる人々、忙しすぎる時間、その中で生きていくための自己防衛の仮面だったのでしょうが、もはやそれが厚すぎてどれがどれやらわからなくなってしまっています。酔いたがるのは、そこからの脱出?
現代を生きているということは同じなので北の人達がそれらストレスから自由だということはないでしょう。しかし、身につけたベールが都人より薄いことはすぐ察知できます。
大自然を目の前にすると人は寡黙に、謙虚になります。海に問いかけ、森に問いかけ、火に、水に問いかけるようです。外で寝てしまったら死んでしまう環境も大自然。北の人達は嘘を見抜きます。本気かどうかを問います。疑い深いのではなく、ただ信じたいのです。一時間空を飛んで来て都の空気をまとったままだと受け入れてくれません。
ジャンがこの地を気に入ったのも分かります。カサブランカで生まれ18歳まで育ち、マルセイユ、パリと移り、ピナカンパニーの要請でブッパタールに暮らしています。生きやすいところ、受け入れてくれるところで生きているのです。長い人生で多くの選択を経てその直感は鋭くなっているはずです。
その感覚は一方通行ではありえません。北の人達もジャンとシェアするものがあったからこそ、1年での再会の機会が訪れたのだと確信しています。