春は約束を守らない

Operita_Kyoto-1 Operita_Kyoto-47

 

歌作り初心者としては、言葉とメロディの関係はそれはそれは驚くことばかりです。

 

来月訪れる旭川(まだ真冬日)、札幌のことに思いを馳せていると、「春」の印象はずいぶんと違うのだろうなと感じます。ほとんど半年が冬の地と、梅や桜が咲いている地とは根本的に違う感覚があるでしょう。10月旭川を訪れたとき、「また来る長い冬を思いつつ、掃いても掃いてもなくならない落葉を掃除しているといてもたってもいられないのでコンサートに来ました。」ということを聞きました。

 

「春は約束を守らない」というアンゲロプロス「永遠と1日」の台詞(脚本のトニオ・グエッラさんの言葉かもしれません。)が気になっていて北の大地と繋げたりしていました。この度のジャンさんとの共演に備えてこの台詞をかつて作った曲に当てはめてみました。多少おちゃらけた曲が急に陰影を帯びて耳に響いてきました。

 

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全てが一度に来た。  変な痛みと兆候を無視し  頑固に背を向けていたが  闇が訪れた  沈黙が私を包んだ 沈黙・・・・

冬の終わりまでだと  全てが言う  突然の雲の切れ目を背景に  淡い舟の影が顕れ、夕暮れの水辺を 恋人達が散策しても

春は約束を守らない  冬の終わりまでだと  全てが言う

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「音楽への憎しみ」(パスカル・キニャール 青土社)の動機は、愛する音楽がアウシュビッツで将校達のパーティでも、強制労働の行進でも使われたことだったそうです。「夜と霧」の映像がナレーションやサブタイトル無しだと、親ナチにも反ナチにも使うことができる、というのと似ています。

 

春にちなんだ詩を思い出すと、シンボルスカさん、中原中也さん。両者とも愛おしい人を亡くしたことに由来しています。「桜の森の満開の下」(安吾)も東京大空襲(3月10日)のエッセイ「桜の花盛り」からの発想と言います。

 

シンボルスカさんの詩は「眺めとの別れ」の一節「終わりと始まり」(未知谷)より

 

 

  またやって来たからといって
  春を恨んだりはしない
  例年のように自分の義務を
  果たしているからといって
  春を責めたりはしない
  わかっている わたしがいくら悲しくても
  そのせいで緑の萌えるのが止まったりはしないと

 

中也は 「在りし日の歌」より

 

  また来ん春と人は云う
  しかし私は辛いのだ
  春が来たって何になろ
  あの子が返って来るじゃない

 

 

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シンボルスカさんの詩を引用して311東日本大震災・原発爆発についてのエッセイを書いたのがアンゲロプロスの映画の台詞を翻訳している池澤夏樹さんです。いろいろと繋がるものです。「春を恨んだりしない」(中央公論社)

 

私は311の直後にコントラバス五重奏DVDを作りグループの名前を「ベースアンサンブル弦311」として活動しました。2012年3月11日にはブッパタールで「Looking for KENJI」の公演をジャン・サスポータス、喜多直毅さん達と行いました。昨年この時期はシンガポールに行っていましたので、日本で桜をみるのは久しぶりになります。そんなこともあり「春は約束を守らない」を演奏したいと思ったわけです。

 

おそらく4月5日のポレポレで演奏することになると思います。

 

3 Comments

  1. 徹さんのこういう文章は好きです。「永遠と一日」のこの詩は実に深いと、思います、何度みても。僕は最初に高田馬場の映画館でみたときから、この映画のはじまり、はいりがとても好きです。池澤夏樹さんの本とはどういう本ですか?さきほど家でベースを練習していて、同じようなこと、考えてましたのでなんとなく。犬山はほどよい寒さ、ベースがよく鳴っているとうれしいです。よい公演になりますよう。

  2. 「春を恨んだりはしないー震災をめぐって考えたこと」池澤夏樹(文)鷲尾和彦(写真)(中央公論社)です。引用された詩の出典は「終わりと始まり」ヴィスワヴァ・シンボルスカ(未知谷)です。
    この本の帯には「この世界にはまだーーよりよいことを選択しながら生きていく可能性が残されいる」と書いてあります。が、出版が1997年です。911,311を経た現在は「そうも言っていられない」のかもしれません。
    「永遠と1日」の主人公役のブルーノ・ガンツは、アンゲロプロス遺作になってしまった「エレニの帰郷」で再び登場し、(たぶん)同じ濃紺のコートを着ています。アンゲロプロスらしいと思いました。

  3. ありがとうございました。「春を恨んだりはしない」というのがタイトルだったのですね。読めばわかるのに失礼しました。「終わりと始まり」も知らなかったので読みたいとおもいます。「エレニ」のコートの話は全く気づきませんでした。

    おとといの夜はちょうど、「音楽のレッスン」(キニャール)を読んだばかりでした。これは短いし、20回くらいは読んでるかも。三章の中国の話は好きです。最近の邦訳「秘められた生 」もちょっとずつ読んでいます。「憎しみ」とはまた別種の読みごたえがあります。話がそれました。

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