守護霊でも代わったのでしょうか?我が家ではちょっとした文楽ブームです。桂文楽さんの文楽では無く、浄瑠璃の文楽。
居間のスピーカーからは竹本住太夫さんと鶴澤清治さんが流れています。
吉本と文楽と米朝、かしまし娘、ブルース、能、大本教、韓国・奄美・沖縄・アジア、すべてが大阪なのでしょう。
圓生のすごさは大阪を知っていたことかもしれません。
久田舜一郎さん(西宮)、沢井一恵さん(京都生まれ)のこともより分かった気がします。
フラメンコの歌手とギタリストの間の関係は凄いと思いました。ギタリストは歌手から目を離しません。アンドレ・メーマリのピアノとナー・オゼッチの歌がなぜこんなに成り立っているのか不思議でした。息でしょうし、「生き」でしょう。
しかし、浄瑠璃の太夫と三味線の関係はそれ以上です。相方に先立たれたら、もう終わり。夫婦以上です。一線を越えています。三味線も二胡も箏も、昨今の即興演奏が使うテクニックを当たり前に使っています。
住太夫さんと清治さんの「阿古屋箏責め」の稽古風景はまさに真剣勝負。
「上手く弾くなんて、簡単なんです。誰でも出来ます。ヘタに弾かなければならないのです。」
「相手に合わせてはイケマセン」と言いながらも合わない時は怒り出します。
本当に「危険」な芸です。即興演奏家の会話のようです。
音楽は嘘をつけないので、箏を弾かせて、本当か嘘かを試すという「箏責め」という主題も凄いですね。
ニッポンで生まれて、この伝統を知らないと損、だけでなく罪。久田舜一郎さんの道成寺の即興のすごさ。虚実が皮膜。堂々と顔をだす人形使い。タデウシュ・カントールのようです。
ニッポンで生まれたら、こういう伝統を学ぶしかないでしょう。パリでニューヨークでベルリンで何が起こっているかいくら知っていてもしかた有りません。そういう所に行ったら、こういう伝統しか通じません。