「徹っちゃんはさ、なんでも20年は早いんだよね」と長年世話になっているベース屋さん(弦楽器の高崎)はよく言います。なるほどそうとも言えますが、私のやっている「ネタ」が初めからほとんど変わらないということなのかもしれません。
「タンゴ」:1990年に全曲ピアソラのCDを録音しました。ピットインでリハを兼ねて録音メンバーで演奏した時「何これ?現代音楽?」と言われました。タンゴもピアソラもまだまだ普及していませんでした。
「邦楽」:ブログでも書きましたが「弦楽四重奏団 String Quartet of TOKIO」17絃箏・津軽三味線・ギター・ベースのグループは短命に終わってしまい、拡大版オーケストラ(笙・篳篥・琵琶・打楽器・フルート・オーボエ+弦楽四重奏団)は数えるほどしか演奏できませんでした。しかし、箏の奏者達とはずっと続いてるし、ユーラシアン弦打エコーズでの合奏は今回にそして未来に繋がっていると確信しています。
「即興」:フリージャズの伝統こそあれ、ジャズの匂いの薄いインプロビゼーションは、ほとんど理解されず、聴衆も、やる場所もフリージャズ系でした。ミュージシャンもジャズ系以外は本当に少なかったです。しかし高柳昌行さん・富樫雅彦さんのようなカリスマと演奏できたことは大変ラッキーなことと感謝しています。その後、「本場」ヨーロッパへ足繁く通うようになり、飢餓感は大きく解消されましたが、しかしなおヨーロッパに同化しようとは思わない自分が確かにいます。
今や、即興ミュージシャンは星の数ほどいるは、ポップスターのような邦楽グループやミュージシャンが堂々と演奏しています。家を建てたタンゴミュージシャンもいるとのこと。本当に隔世の感です。
いっぽう「韓国もの」は、いまだになかなか浸透していないようです。お好きな方は、完全に韓国伝統音楽の世界に入るでしょうか。なんらかの交渉を持った方ならご理解いただけるかもしれませんが、韓国との関係は一筋縄ではないことがしばしば起こります。
21年前のユーラシアン弦打エコーズの終演時、ビックリするような大手広告代理店が私の所に来て「予算はどのくらいだったの?」「どういう関係でなりたった?」など根掘り葉掘り聞きに来ました。まだバブルの残るころです。ウチは1000万円以上のものしかやらないのよね、と言われたのを妙に覚えています。少し後になってその代理店がらみと思われる大きなアジア系イヴェントがありました。もちろん私には交渉なし。
日本・中国・韓国の箏を習い、言語をマスターしたジョセリン・クラークさんは「この三つの国の中で、韓国は、人間関係が一番難しいけれど、音楽は一番魅力があります。だから韓国にすんでいるのです。」と言いました。何かとてもよくわかる気がします。言葉も楽器も出来る彼女でさえそうなのですから、できない私らはもっともっともっともっと大変です。
ユーラシアンと名づけたのは日韓二国関係で閉じないようにという願いです。どちらがどうだ、こちらがこうだ、という関係では無く、ユーラシアン大陸の東にある二つの国として捉えたらどうでしょう、という提案です。
日韓音楽の「出会い」ではもはや満足できません。そんな時代ではないでしょう。「キムチ大好き」「韓流大好き」だけでは全く足りません。視点を換えれば、韓国の伝統音楽にしても、常に何かを求めているハズです。そうで無ければ豊かさは保てません。
舞台上ではミュージシャンもダンサーも命がけです。政治だの文化だの言っている場合ではありません。しかし、子供や孫の世代に戦争が起きないように切に望みます。若い世代や子供達にこのコンサートに来てもらいたいです。だんだん余計なことを書きそうな気配になってきました。もう止めます。そう、もう今日の午後にはジャンが来日、一恵さんも帰国、みんなが集まり始めます。とりあえず、音楽でダンスで話しましょう。