曼荼羅その2
ジョセリン・クラークさんは北大のクラーク博士のひ孫。(ちなみに「少年よ大志を抱け、Boys be ambitious! 」と言う言葉は、「お金、利己心、名声のためでなく、人間としてあるべきすべてのものを求める大志を抱け!」と続いています。)
彼女は、中国語・日本語・韓国語を修得し、中国箏・日本箏・韓国箏を修得し、ハーバード大学の博士号を持つ、おそらく唯一無二の人でしょう。日本の箏は沢井一恵さんに習いました。私が一恵さんの助っ人でニューヨーク、ワシントン公演をした時に、ニューヨークに手伝いに来てくれていました。(もう一人のお手伝いがロチェスターから水谷隆子さんでした。)
「私の故郷のアラスカ・ジェヌーで現代音楽祭Cross Soundを長年やっていますが、是非いつか出演してくださいませんでしょうか?」という依頼を受け、2006年に実現しました。その年は、ギリシャのマンドリン奏者Dimitris Marinosさんと私が特集されていて、委嘱新曲を弾きました。
私のための曲を書いてくれたのがドイツ人シュテファン・ハーケンベルクさんと韓国総合芸術学校(韓国の芸大、Kアートと呼ばれています)の学長だったイ・ゴニョン(李建鏞)さんだったのです。ゴニョンさんは初演を聴きにアラスカにやって来ました。何回かお話をさせていただきました。高銀・申庚林・金洙暎さんら詩人の話が多かったです。ふとしたことでユーラシアン弦打エコーズの話をすると、元一・姜垠一さんは彼の芸大で教えている、許胤晶さんもよく知っている、という話になりビックリ。関係が切れていた韓国との曼荼羅がこのあたりで繋がり始めたのかもしれません。
姜垠一さんとの初共演は、新宿ピットインでの金大煥さんとのデュオの時でした。怪物(龍野)さんが、何かと私のことを気にしていてくれて、デュオの打診をしてきました。正直、あまり期待していませんでしたが、怪物さんの言うことなら何かあるにちがいないと受諾。大学時代に韓国語を少々やり2回渡韓したことがありましが、音楽には全く触れていませんでしたので、韓国音楽との初共演だったわけです。何回か書きましたがこの時、何かオカルトが起きて、韓国との蜜月がはじまったのでした。
演奏がどうだったか、全く覚えていません。後半に姜垠一さんがヘーグムを持って参加しました。その次が、ユーラシアン弦打エコーズに来てもらった時になります。その頃、姜垠一さんは、許胤晶さんと少女から大人になりかけの若い盛りでキャッキャとしながらも演奏になるともの凄い集中力でした。これが「伝統」のチカラか、と思ったものです。
その次に会ったのが大阪。私がミッシェル・ドネダとのツアー中、姜泰煥さんとドネダの共演が大阪で実現。その時に姜垠一さんも同行していました。そして今回です。送られてきた写真は美しい女性になった艶やかなもので、プロフィールはまぶしいくらいで、パット・メセニーとの共演など書いてありました。
許胤晶さんはユーラシアン弦打エコーズの時、アジェンを弾いていましたが、今はコムンゴの第一人者として著名とのことです。やはり艶やかな写真に見とれてしまいました。何と言ってもビックリしたのは、許胤晶さんとパク・チャンスさんのデュオ音源でした。私がパクチャンスさんと共演の話があったときに参考資料としてもらったCDRにはいっていました。そのライブ音源はインプロピアノとして名を馳せているパク・チャンスさんと互角にインプロをしていました。そして、コムンゴが何と言っても、素晴らしかった。大変嬉しく、懐かしい音による再会でした。
日本の箏奏者の中にもインプロをやる人が出てきていますが、私が聴いたものは、特殊奏法で対抗している感じが多いです。しかしこの許胤晶さんのコムンゴは、従来の伝統奏法で1音1音を無心に出していく感じでした。88音のグランドピアノを相手に一歩も引かず、音を紡ぐ姿勢に感動しました。
これを日本の聴衆に、そして若い箏奏者達に直に触れて欲しいと思い、今回に繋がったわけです。