音階は数学、というと変な感じですが事実です。ピタゴラスが作り、中国や日本では三分損益法という方法で音階が作られました。とても理科系です。ピタゴラスは5度(ドとソの関係)を積み重ねる(ドーソーレーラーミーシーファ♯ード♯ーソ♯ーレ♯ーラ♯ーファで12音が得られます。)三分損益法は、有る長さの笛の三分の一を切ると5度高い音が得られ、三分の一を付け加えると4度低い音が得られる、それを繰り返して12の音を得るわけです。
中国では国が作られるとまず音を決めた,と伝えられています。えっ、何?何と言っても国の基本は税!租庸調などの税の基本はまず音を決めたのです。ある長さの笛を基本として、その長さを全ての基準にしたそうです。律令制度の律は音律から来ているという説。現在でいうクオーツ(水晶の振動)に当たる「客観的に確実で全ての基準になるもの」が、音だったのですね。(ピタゴラスや古代中国であみ出されたこれらの音階は、決して世界中に広まったのではなく、むしろ特殊だ、という小泉文夫さんの説もわすれてはならないでしょう。)
面白いのは、ピタゴラスにしても三分損益法にしても、割り切れないというところです。ピタゴラスのコンマとよばれるものが存在しどうしても割り切れない。4年に1回「うるう年」が有るような感じですね。
胎児の心音がキチンと規則的すぎるとその胎児には健康に問題がありがちだ、というのも思い起こされます。生きると言うことは割り切れない、揺らぎの中にあるのでしょう。美は乱調にアリ、ですな。ビブラートの心地よさも、合奏することの気持ちよさもそのあたりに関係する気がしますし、ノイズの話まで行きそうです。
ここでは、韓国音楽と数字のことにします。前回チルチェ(七体)の36拍子について書きました。いかにも複雑そうですが、それは小中学校での音楽教育のせい。実際にやってみると直ぐ覚えることができ、しかも、なかなか忘れないのです。
日本人は田んぼで田植えをしていたから2拍子、韓国は馬に乗っていたから3拍子なんて気楽に言っていた時代がありました。あまりにも大ざっぱです。前回取り上げた金大煥さんは「全ての音楽は1拍子」という主張をしていました。ま、それはそうでしょう。
12という数字についていろいろ考えられます。李光寿さんの言うように12で永遠に回っていくリズムを取り上げましょう。決して現在世界中の数の基本の10進法の10ではないことも改めて考えると興味深いです。
12は12ヶ月、と思うと3ヶ月ずつ季節が回り永遠に続きます。春・夏・秋・冬と12拍子を数えていると実感が湧きます。さらに言えば、1日は24時間ですね。これも午前12時間と午後12時間の繰り返しで続きます。1時間は60分、1分は60秒、これも12を単位にしているとも言えます。12×5です。大きく12×5をみると12年×5で60年=還暦です。
1オクターブも12音、12ごとに永遠に続くわけです。ピタゴラスのように5度を重ねていっても、三分損益法によっても12の音が得られます。
公約数が1,2,3,4,6ですので、いろいろに分けることが出来ます。散調(サンジョウ)というソナタ形式のような韓国伝統音楽の形式はこの12拍子をいろいろな尺度で変化させていきます。
韓国での5拍子は2+3が基本が多いようです。(4+1とか3+2ではなく、という意味) 大事なのは、5を4回繰り返すことで円運動をさせ永遠に続くことも簡単に応用が利くということです。円を描いて続くことが大事なのでしょう。5拍子が「変」拍子と教えている日本の教育の方が変です。
リズムのことを韓国音楽で長短(チャンダン)と呼ぶのも示唆的です。長いか短いかでリズムを捉えると小さな単位にこだわらず大きくリズム・グルーブ(乗り)を捉えることができます。
音楽の基本単語の訳はとても面白いです。日本でcompositionは「作曲」=曲がったもの(メロディ)を作ることですね。暗黙の内にメロディ重視なのしょう。英語訳は単に「構成」です。リズムやメロディなど様々な要素を「構成する」ことが作曲なのです。
韓国伝統音楽で、リズムとは永遠に繰り返すものという考え方であること、12が生きているということは、興味深いことです。 自分が「作り出す」ものではなく「ゆだねる」ものとして存在するという考えがあるのでしょう。同時に音階は決してピタゴラスでも三分損益からの「12音平均律」ではないことも忘れてはなりません。
写真はソウルスタジオで金石出さん・パクビョンチョンさん(珍島出身のシャーマンで優れた音楽性から指導的立場にいました。私も習いました。)・梅津和時さんと髭面の私。
大変、興味深い記事でした。
音楽を、ずっと感覚で捉えていましたので、
読ませていただいて、脳に刺激を与えられました。
「12」という数字は、なかなか奥が深いんですね。
有難うございました。