韓国音楽との共演の初めは金大煥さんでした。ピットインがまだ紀伊國屋書店の裏にあったときです。マネージャーだった龍野さん(というより怪物さん)が何かと私のことを気にしてくれていて金大煥さんとの共演の電話がありました。何?韓国の太鼓?デュオ?なんだか気乗りがしませんでしたが、怪物さんの言うことだから何かあるにちがいないと引き受けました。
プクを横にして両手に何種類ものバチを同時に持ち、微かな音とダイナミックな音を出し続ける金さんにともかく大変感心しました。今や即興演奏の打楽器界で一世を風靡している感のあるレ・クアン・ニンさんの横置きバスドラムのずいぶん前の話になります。その時ゲストで今回のコンサートにも来てくれる姜垠一さんとも共演しています。
その時私の中に何か大きな変化が起こりました。共演自体の完成度やコミュニケーションはさほどではなかったようですが、ともかく私の中で何かが生まれました。翌日からいてもたってもいられない、という感じで、金さんを招聘した人を探し連絡を取ったのです。さらには21年前「ユーラシアン弦打エコーズ」コンサートを主催、芸術文化振興基金へ助成金の申請に行ったり、何回も渡韓することになったり。腰の重い私も人生で何回か超積極的になります。
彼は米粒に般若心経を毛筆で書きます。ギネスブックにも載っています。何とかもっと学びたい,知りたいと思い、招聘しました。成田に迎えに行き、東京への電車の中で「チルチェ」を教えてくれました。5+5+3+3+5+5+2+2+3+3のリズムです。やけに複雑そうですが、一度身体に入ってしまうととても自然なリズムです。合計で36拍子になるこのリズムは孫子・兵法の36計逃げるにしかず、から来ているといいます。
金大煥さんはチョウヨンピルさんのロックバンドでドラムを叩いていたり、国家認定の芸術家だったり、大型バイクやジープの愛好家だったり、昼間から酔っていたり、ともかく正体がつかめません。「フリージャズ、フリージャズ!」と声高に叫んでいました。林英哲さんらの太鼓を聴いて、音もドンドン大きくなっていきました。一方の私は「フリージャズ」に馴染めずにどこかに私の求める音楽はないものかと伝統音楽に興味を持っていた時期でした。
ソウルで南道のおばちゃん達の民謡集を録音したときに、録音スタッフと金さんと一緒に出向きました。(パク・ビョンチョンさん指導、素晴らしい名盤です。)。大渋滞して間に合わない状態。一車線だけ普通の車が通ってはいけないレーンがあり、金さんが運転手に「良いからそこを走りなさい」と指示。案の定、警察に止められると、国家認定芸術家?の証明書のようなカードを見せると「どうぞ,お急ぎください」というエピソードもありました。
音楽の方向が逆だったので自然に共演は減っていきましたが、ベクトルが一回りして必ずまた会える・共演出来ると思ってどこかで楽しみにしていました。しかし、かないません。亡くなってしまったのです。
FM東京での金大煥追悼コンサートでは今回出演する螺鈿隊のメンバーを含む箏アンサンブルで「ストーンアウト」を演奏しました。とても高揚し充実した演奏だった記憶があります。
やはり亡くなってしまったノイズメディアの川崎克巳さんが大変挑戦的・挑発的なPAをし、こちらはその意思を理解し充分対応したのも想い出です。そういうPAの人は今やなかなかいませんね。
(オカルト話で恐縮ですが、背後霊が見えるという人によると、当時の私の右肩あたりに韓国人の小さなおじいさんがいて韓国の複雑なリズムをやってくれ、と言っていたそうです。何年か後にもう一回見た時はそのおじいさんはいなくなっていたそうです。妙に腑に落ちます。)
↓のジャケット写真には「芸友」と書いていただきました。