神命 その3

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神命 その3

 

この録音ひいては韓国音楽への関わりには、私にとってラッキーなことがいくつも重なっています。最高のミュージシャンに会えたことはもちろん第一です。巫族(シャーマン)の人達から拡がっていったことも大事な要素です。韓国は、どこを入り口にするかで全く違ってしまいます。

 

音楽的には、リズムが重要視されていて和音の変化がないこと、12音の平均律で無い旋律にはフレットの無いコントラバスは合わせやすい、リズムの1拍目が強調されているので自分が怪しくなってもそこまで待てばなんとかなることが多い、低音を受け持つ楽器が無いことで私が演奏する空間(余地)があったこと、私の好きな5拍子が普通に使われていること、などなどです。同じアジアでも最近行ったマレー音楽だったら和音変化が頻繁にあるのでベースはそれを理解していないとほとんど不可能です。フラメンコだったら最終拍から数えたり(12拍子の12から数えることがあります)するし、現在勉強中のインドネシア中部のガムランではの最終拍に銅鑼が鳴ります。1拍目はほとんど強調されず後ろに向かって進行していく感じです。しかも4拍子×4小節の単位が2つすぎた最後だけに鳴ったりするので一度迷うと追いかけていく手がかりがほとんど無くなってしまいます。

 

収録曲1:サルプリ口音(クウム)2:スッテモリ 3:ソンジュップリ~珍島アリラン 4:ホジョク(胡笛)散調 5:冬の落日(ソウル音盤カンタービレシリーズ)

 

この録音の特筆すべき事は、韓国のレコード会社が戦後日本人を使った最初の録音ではないか、ということです。以前書いたように、この録音が巫楽・国楽・農楽が合奏した大変貴重な録音であるということもありました。私は知らないうちに大変なことをしていたのです。

 

さまざまな影響がありましたが、忘れられないことが1つあります。李七女さんというダンサーがお茶の水大学に留学していました。彼女が工藤丈輝・若林淳という2人の若き舞踏ダンサーと親しくなり共演を重ねていたそうです。その彼女がこのCDを気に入っていて自分の公演で使っているということでした。私はお会いしていませんでした。あろうことか実際にお会いしたのは有明の癌専門病院でした。病気療養中の李七女さんを励まそうという会を工藤・若林が発案、彼女を喜ばそうと私が加わり公演。本番の日、彼女は来ることがかないませんでした。後日、本番のビデオを持ってお見舞いに行くことになりましたが、その日からモルヒネの服用を始めるというもう末期でした。私はコントラバスを持参。(たまたま持って通りがかったという趣向。そんな人はいないよね。)病室でお見舞いを済ますと病院にかけあって小コンサートをしようということになりました。患者さん、看護婦さん、お医者さん、病院スタッフが集まりました。七女さんはチャンゴを用意。工藤・若林はもちろん踊りました。とてもほっこりした良い演奏会でした。窓から見える東京湾の透き通るような青空とカモメが忘れられません。音楽やダンスの本来の役割だったのでしょう。

 

写真は初共演をした二子玉川で、金石出さんと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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