金石出さんは人間文化財(日本でいう人間国宝)、彼を取材した映画も本もあります。「アリラン峠の旅人達」(平凡社)ともかく別格。昔はシベリアの方まで行ったと言います。耳には金のピアス、眉毛は格好良く入れ墨を入れているおしゃれさんです。日本の植民地時代に初めて学校へ行くことができた,と言って日本語も覚えています。私には肩の所のホクロがあるので演奏家OKと占ってくれました。もちろんシャーマンは占いをします。考えて見ると昔は占い=政治だったわけなので、トップの政争に敗れて最下層に押し込まれたのでしょうか。上品な顔をなさっています。ミッシェル・ドネダは彼の録音を聴いて「鞄持ちでもいいから彼の側にいたい」と言いました。わたしは金石出作のホジョク(胡笛)をミッシェルに贈呈しました。私の韓国由来の代表作「ストーンアウト」は単に金石出さんの名前の英訳です。英語が自由な人にはこのタイトルを言うと怪訝な顔をされます。ダジャレがつまらないというのではなく、ストーンアウトというのは麻薬が完璧に効いている状態をいうそうですので、使い方注意ですね。
安淑善さんも後に人間文化財になった正に国民的大歌手です。大ヒットした映画「西便制ソビョンジェ(風の丘を越えて)」で主人公が艱難辛苦の果てに最後に手に入れた歌の部分で吹き替えが安さんでした。満員のNHKホールで「春光伝」(パンソリの十八番)を歌いきりました。その公演で1992年「ユーラシアン弦打エコーズ」の公演チラシを挟み込ませていただいたのが想い出です。88ソウルオリンピックの開会式でも歌ったとのこと。歌っている時は巨人の風格です。普段はこんなに背の低い人なのか、とビックリします。それは沢井一恵さんと同じですね。ただただ良い歌を歌いたいということに人生の全てを賭けているようでした。喉に良いと言うことで「蛇」を煎じているという話も強烈に覚えています。
李光寿さん参加のサムルノリは日本をそして世界を席巻しました。(サムルノリとは固有名詞ではなく、四種の打楽器での演奏ということです。)70年代からの政治状況と相まってジャズやフリージャズを活力にしていた日本の音楽好きがいろいろな文化に関わっていました。ジャズが元気を無くした中、数少ない期待を賭けていたジャコ・パストリアスとギル・エバンスが相次いで亡くなりました。まさに「ジャズ」の終わりという感じだったと聞きます。その空白を埋めるべく現れたのがサムルノリとボブ・マーリーだったようです。サントリーホールでのサムルノリ公演のアンコールで興奮して舞台に登って踊っていた何人もの「文化人」がいました。
「サイトさん、リズムの乗りはだんだんと大きくなります。雪だるまのように。終わりがありません。」と録音後の宴席で教えてくれました。やはりその点が私の演奏への不満だったのでしょうね。わかります。わかります。よーくわかります。「演奏するとだんだん身体の悪いところが治ってくるのです」という言葉も忘れられません。西洋や日本の音楽の「神童」たちの多くが身体や精神を病んでしまう例と比較してしまいます。
彼の家に招待されたことがあります。玄関を入ると大きな抗日闘争の絵があって「私のお父さんは抗日闘争で死にました」と。アジアを旅すると聞かざるを得ない種類のつらい言葉です。