「雨が降っているかどうか耳傾けよ」(レクゥート・シル・ブルゥ)という名前の川がパリ郊外にあると、野村喜和夫さんも堀江敏幸さんも著作で紹介しています。なるほどたいへん印象的な名前です。
「ベースが鳴っているかどうか耳傾けよ」と、わたしはすぐ連想してしまいます。コントラバス・ベースの音色やニュアンスそしてピアニシモまで聞き分けるべく耳を傾けて音楽を聴くと、音楽を全く違うように聴くことができると思います。それは共演者も聴衆も同じです。
その必要が無いのがベースアンサンブルです。ハハハ。なんたって他の楽器がありません。週末2日間ベースアンサンブルをやりました。
常福寺ライブ 名物の桜は終わってしまいましたが、「花は盛りに月は隈無きをみるものかは」(徒然草)です。「違う視点」を持つ「あたりまえをうたがう」ことが私達の音楽の目的でもあるわけですから、これで良いのです。境内には枯山水があります。これも同じ事ですな。午後には「メメントモリ」と題された講演会が本堂で行われていました。リハーサルのために聞くことはできませんでしたが、思えばこのベースアンサンブルのレパートリーは311の記憶と深く関わっています。
前回このお寺で演奏した時は田中泯さんと姜泰煥さんとのトリオでした。急に姿をくらました泯さんは竹の落ち葉を拾い集めて本堂に撒きました。今回も竹のライトアップが何とも良かったです。
もとよりコントラバスは野外の楽器では無いのでこういうオープンエアではなかなか豊かな響きを得ることが出来ません。しかし、それも謂わば「囚われ」です。響かないときは、がんばって何とか大きな音を出そうとせずに、より小さな音を出すことでダイナミックスを確保するのです。小さな音だと聞こえないのではないかという気持ちを上回る「信じる」心をもつことです。
さすがにお寺という場が教えてくれることは意味深いですな。
翌日はホームのポレポレ坐「徹の部屋」(すでに25回目)。そしてベースアンサンブル弦311の東京最終公演になりました。レパートリーの一つ「西覚寺」の住職・奥様・ご子息ご来場。共演仲間の小林裕児さん・喜多直毅さんの顔も見えます。田辺・田嶋の楽器制作者が昨日イタリアより帰国。イタリアの楽器制作者を伴って来てくれました。また、このグループの生みの親のような鶴田敬之さんも。
このアンサンブル最初のポレポレ坐公演ではジャンさんがドイツからSkypeで参加しました。その時に得たことが多く思い出されました。楽器と共に横に寝そべった時に映し出された真っ青な空。その後のブッパタールでの「Looking for Kenji」にも繋がりました。第2回目の出演はDVD完成記念で、ちょうどポレポレオーナー本橋成一さんのチェルノブイリ関連の写真展の中でした。
想い出多き環境なので、決まり事を繰り返してしまうキケンを回避すべく、新しい試みも随所に組み入れました。はげしい場面もありましたが、私の心中はとても静かでした。
田辺・田嶋さんの間に居るのが左・鈴木徹(ベース制作者)右・鶴田敬之(鶴屋弓弦堂)
常福寺の写真は南谷洋策さん