キッドアイラックアートホールでの「うたをさがして」で配布したご挨拶です。
いざや今日、「うた」の船出 乾 千恵
ある時、斎藤徹さんが笑顔で言った。「ちえさん、歌を、オペリータを作ろう!」
オペリータという言葉に、ピアソラ好きの血が騒いだ。かのタンゴの巨匠が詩人と創り出した音楽劇の形式名だ。思わず「いいねえ!」と答えていた。
少しずつ歌のことばらしきものができ、徹さんが曲を付けてくれた。
四曲が生まれた時に、まさかの3・11。何もできず、耳だけがラジオの報じる惨状に釘付けになる日々。希望もことばも灰色の闇にのみ込まれ、消え失せた。
一年後、徹さん達の演奏、歌、ダンスによる公演「うたをさがして」に行こうと決めた。ダンサーのジャン・サスポータスさんの、幸せな気持ちでいっぱいになる笑顔を思い浮かべた瞬間、ずっと書けずにいた歌のことばがやってきた。
音楽の力、踊りの力で、心が一年ぶんの澱から解放された素晴らしい公演の後、ヴァイオリンの喜多直毅さんから頂いたCDを聴いた。盛岡出身の喜多さんが震災に寄せて書かれた曲の演奏に、打ちのめされた。
故郷を消し去った力の恐ろしさと、同じだけのすさまじさで起ちあがる悲憤の声。その先の、静けさと祈り。すべてに、圧された。しばらく口もきけなかった。が、やがて、押しつぶされたはずの胸の中に、被災後の日本を舞台とした物語が、一気に湧き出したのだ。
それからの三週間、私のアタマはその世界に完全に乗っ取られた。喪失の悲しみと苦しみを抱え、希望につながる「うた」を求め続ける、旅人と女。二人は出会い、語り、歌う。その声をひたすら追ううちに、オペリータの「ことば」は出来上がった。
書き手の元を離れた「ことば」は、徹さんの手で「うた」の波に乗る。さとうじゅんこさんの、深く、はるかに広がる歌声が、その「ことば」の産声となる。こんなに嬉しいことはない。
「灰色の闇」は、今なお、この世を包んでいる。今日から響き始める「う
た」が、その闇を少しでも明るくする力になってくれますように!
うたをさがして 齋藤徹
妊婦さんと新生児が集まっている震災・原発避難所でソロ演奏した時、「うた」と「おどり」が一番求められている・必要なのだ、と感じました。
さとうじゅんこさん・喜多直毅さんとトリオを始めた時だったので、長年の懸案だった「歌を作る」のは今しかない、と思いました。
さて、作ろうと思ったときに歌詞に困りました。小学校の宿題以来「詩」を書いたことがないことに気がつきました。では「今、一番詩を感じるのは何か」、思いついたのがギリシャの映画監督テオ・アンゲロプロスの映画でした。トニーノ・グエッラさんというイタリアの詩人が脚本を書いているようでした。好きな台詞に曲を付けました。ライブ録音を済ませCDが制作中にアンゲロプロスさん事故死、続いてグエッラさんも亡くなりました。
そんな中、千恵さんが脚本を送って来ました。体調が優れないと聞いていたので、もの凄いエネルギーで書いたのだろうと直感。これはただ事ではない、何としてもこれに応えなければということで今日を迎えました。
本公演上演時には整ったかたちになるでしょうが、本日はまだできたてです。「処女作は以後のすべてがつまっている」ということもあろうと思います。本日とそして1年後をお楽しみいただけることを願っています。