ポレポレ坐「聴くこと・待つこと・信じること」終了しました。
演劇とダンスと音楽が同格に存在できためずらしい舞台でした。出演の四人も全く同格だったので、前半の4つのデュオのシーンの内、私の参加していない2つでは全くの無音でした。音を出したい欲求もありましたが、仲間を「信じ」音を出すのを「待ち」沈黙の音楽を「聴き」ました。
たとえて言えばこんな感じでした。(第一部で4つのデュオをする、と決めた以外はすべて即興でした。)
ここは、とある国の田舎にある駅、終電が終わり始発を待つ四人。明らかに民族も違うのになぜか兄弟のようにも見える。男三人はよれよれの白いシャツ。
シーン1
男1と男2が並んで椅子に座る。ほとんど動かない。心の中を覗こうとする男2に男1はダンスで応える。
シーン2
女1と男3が登場。男3はダンスを誘うが、女1は無視し寝てしまう。女1は夢のなかで楽弓をもらい、弓だけで楽器を弾きながら踊る。男3は願いが叶いうれしく楽器を弾く。
シーン3
女1の夢の中に男2が突然登場。大きな大きな感情を統御できず踊る。男3はバッハを弾き落ち着かせようとする。ダンスか音楽かわからなくなる。
シーン4
結ばれた男1と女1が登場。幸せなのか不幸せなのかわからない。それ以上の出来事に翻弄されているのか。男1は女1に向かって一人タンゴを踊る。
シーン5
4人がさまざまな絡みのなかで祝祭や招魂の儀式を行う。男1がどんな状態でも強く「肯定」を指し示し、暗く沈むことに「耽溺しない」方法をダンスや表情で促す。
印象的だったのはシーン4で女が所構わず座ろうとする所に男1が椅子をもっていくシーン。まるでカフェ・ミュラーの逆の所作に思わず笑み。「ずっと椅子のおかげで家賃を払ってきましたから・・」と男1のジョークもさえます。
4人のシーンで踊る3人に男3が指鈴を渡し、回りの聴衆にも渡し、20個以上の鈴が鳴った時の空間は凄かったです。
男3が永遠に続くようなリズムで演奏を始めると、男1がグルグルと全速力で走って回りだし、男2が続く、逡巡している女1を男1がさらっていき、三人が走って回り出しました。ほとんどマチスのダンスでした。
モレーノ・ヴェローゾの「how beautiful could a being be」というフレーズが頭をめぐりました。
さあ、残りの公演は2つです。お見逃し無く!
27日
六本木スーパーデラックス ライブペインティング(小林裕児)と音楽(喜多直毅・徹)とダンス(ジャン・サスポータス)の即興セッション。
28日
明大前キッドアイラックアートホール オペリータ「うたをさがして」序章 うた(さとうじゅんこ)バイオリン(喜多直毅)コントラバス・作曲(齋藤徹)脚本・詩(乾千恵)ダンス(ジャン・サスポータス) 1年後の上演を目指したオペリータの序章として行います。