来年1月予定の乾千恵作オペリータ「うたをさがして」の作曲中です。いままでの千恵さんの共作の他に、新たに5~6曲あります。それを来月のジャンさんツアー最終日にやってみよう、ということで急いで作業中です。明日出来ないことは今日も出来ないと思って、せっせとやっています。
作曲モードになるまでの通過儀礼が長かったので、今回はできないのかな?と危惧しましたが、「もっと良いものができるはず」とか欲を出さず「こんなはずじゃない」と自己評価を誤らず、粛々と「困難を楽しんで」います。そう思うと案外楽しいものです。
先日の高場将美さん誕生ライブがたいへん役に立っています。ほとんどが3和音、ちょっと複雑でもスケール上の和音ですので、基本的にベースはド・ソ・ド・ソと弾きます。これで良いのです。歌詞に思いの丈を詰め込み、人の心の襞まで歌い込む曲では、複雑な和音やメロディーは邪魔以外の何ものでもありません。
ミュージシャンがテクニック自慢だったりすると余計なコードを付けたり、歌の間をねらって余計なオブリガートを付けたりします。歌手を強迫したりしては行けません。
歌というものは、歌詞が第一で、メロディ・ハーモニーは歌詞を乗せる舟であったはずです。当日演奏したアマリア・ロドリゲシュさんの曲の中には、もともと存在していた曲に歌詞をつけてアダプトしたものもありました。替え歌です。それでいいのだ。
チャーリー・パーカーがジャズから踊りを奪い、ピアソラがタンゴから踊りを奪ったという言い方があります。和音が複雑になって踊ってはいられないからです。ピアソラの「タンゴの歴史」にもダンス音楽からコンサートホールへ「進歩」する過程が曲になっています。和音を複雑にしなくては表すことができない感情があります。複雑な現代社会を反映しています。へんなノイズでしか表せない感情もあります。「君が好きなんだ」とだけで三和音でやっても歌にはならないのです。
しかし、ピアソラ最晩年にはプグリエーセのジュンバのリズムを多用して行きました。ダンス(身体性)の復権の意味も有ったと思います。パーカーは若くに死んでしまいましたが、もし長生きしたらダンスを復権させたかもしれません。
日頃コントラバスでインプロと称する異様な音をだしている身としては、歌作りというありがたい機会をいただいて、歌本来の「健康さ」を味わいたいものです。