オリジナルな歌と言っても・・・

オリジナルな歌と言っても・・・

 

ただ今、作曲モードに身体と頭を転換中です。この儀式を経ないと何も生まれません。やはり私は作曲家ではないのです。本来の作曲家なら、作曲せざるを得ない衝動が身を突き動かして、演奏される予定があろうとなかろうと作曲するのでしょう。私は演奏の予定や委嘱が無しに作ったことがありません。演劇の音楽をやっていたときに音響のスタッフに「てっちゃんさ~、お客って何かお土産みたいなものを欲しがるんだよ、そんなメロディを作ってみたら?」と言われました。それがきっかけとなっていろいろと作ったことがあります。即興をやるときは即興で無ければできないことを!作品を演奏する時は作品でなければ(あらかじめ書かれていなければ)できないことを!というルールがいつの間にか自分の中で出来上がっていました。

 

要求されるさまざまな演奏が可能というプロフェッショナルとしてのスタンスではなく、自分の仕事としてさまざまなジャンルが必要となったのです。

 

トム・ジョビンもシコ・ブアルキも作曲するときはサンバを書けば良い。ピアソラはタンゴを書けば良いし、ユパンキはフォルクローレ、ミンガスやモンクやエリントンはジャズ(ブルース)を書けば良かったわけです。言い方を変えれば、彼らが書くものはすべからくサンバ、タンゴ、フォルクローレ、ジャスに成って行くのです。気がつくのはサンバもタンゴもジャズもリズム主体ということです。サンバの、タンゴの、フォルクローレの、ジャズのリズムを前提としているわけです。そしてそれは先人達の作った伝統と革新を踏まえている訳です。はてさて、ここ21世紀の日本で何か作曲する場合、そういう前提があるでしょうか?民謡も音頭もご詠歌も小唄も端唄も長唄も浄瑠璃も謡も詩吟も、どこか触れるものがあるにしても、私の身体からふつふつと出てくるものではありません。

 

私の場合、結局自分のいままでの音楽情報を寄せ集めて作ることになるんだろうな~という予想です。変な言い方ですが、演劇の演出家に、この状況で、何分で、こういう感じ、とか指定された方が作りやすいのも事実です。味気ないですね。聞くところによると、フォークの神様?と呼ばれた岡林信康は「えんやとっと」のリズムを持ってこようとしたとか、韓国の音楽と合奏するようになったとか。その試行錯誤はよく理解できる気がします。

 

オリジナリティなどにこだわる必要はもはや無いでしょう、生まれてから洋服を着て椅子にすわってパンと肉をたべて洋楽を聴いてきたでしょう。と言われても、はいはいその通りですよね、所詮自分なんて情報の寄せ集めですものね、と即答しにくい自分がいます。

 

歳を取るようになってだんだん魚・日本酒・米・地野菜が好きになってきている、やっと味がわかるようになってきています。そんなことが音楽にも当てはまるのではと言う推測を払拭することができないでいるわけです。「骨の髄からでてくる音楽」と小泉文夫さんが言っていたアレです。毎日話している日本語と抜き差しならない関係を持つアレです。

 

世界各地の音楽が大変好きということはよくわかります。中には天才的な人も何人もいます。しかし、私のレベルではいくら上手になったとしても本家を上回ることはほとんど無いでしょう。本家が私達の作ったものを真似することはありえないでしょう。私のタンゴをピアソラが真似たり、私のサルプリを韓国シャーマンが真似たりすることはキッパリありえません。

 

しかししかし、正月早々、そんなことにこだわっていても何も進みません。良いものが作れなかったときの言い訳くらいにしかならないでしょう。それでは、見方を変えましょう。私は幸運なことに、即興もタンゴもフォルクローレもジャズもクラシックも民謡も韓国も良きお手本に恵まれました。一つ一つのジャンルで物まねであってもこれらを私と同じように経験してきた人はいないでしょう。そこにこそ私の立ち位置がある、と当たり前のことを言ってみたい。それこそオリジナルな歌、日本の歌になるのでしょうか。不明です。その立ち位置の不安から最近の若者が「即興」に引き寄せられるとも考えられるかも知れません。「即興」は嘘がつけませんから。

 

コントラバスの弓にはフランス式とドイツ式があってそれぞれの伝統と格式があります。私はドイツ式で始めて途中でフランス式に換えました。しかし完全に移行することはできず、フランス式弓をドイツ式奏法で弾くことがあります。私のコンサートで見た現代の名工と言われているフランス人(ジャン・グルンベルジェさん)が「あなたの弓を作らせてくれ」と言ったきたのです。そして1年越しで実際に作ってくれました。(リッチモンドで言われ、ハワイに持ってきてくれました。)その奏法が「日本式」と言えるには長い時間と多くの経験値が必要でしょう。あえなく立ち消えになる可能性も高い。そもそもフランスとドイツの伝統に立ち向かう力量も確信もありません。所詮まがい物?そもそも東アジアの島国でコントラバスを弾いていること自体が不自然。とは言っても今更、三味線や箏や小鼓に転向できるわけでもなく・・・

 

ともかく、これをしていないと生きていてもしょうがない、という気概だけは忘れずにいたいものです。それを後押ししてくれるのは、「自分」では無く「誰か」のためになっているという拠り所かもしれません。

 

 

 

 

 

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