例えば、バールの体調。葛根湯とビタミンC、ニンニク卵黄を適量服用しています。風邪気味をかえって楽しんでいるようでさえありますが、さすがに、極度に悪化することも想定して自分によく合う抗生物質が欲しいと言います。友人の医師に連絡を取るとすぐに解決。彼は京都で英語が通じる医院も調べてくれました。いやありがたい。
ベースアンサンブル弦311のISBコンヴェンションへの参加のためのメセナ申請も時期が重なって困っていたらメンバーが単独でやってくれています。いやありがたや。
ポレポレ坐では、満員の聴衆。この場所とこの聴衆と私とスタッフとゲストで4年間一緒に育ってきたのだな~と感じました。裏も表も聴衆も壁も駅もキッチンも、いるべき所にいて、やるべきことをやっている、それを見守る、次へ繋げる、自分に活かすということがごく自然にそこにあります。これはすばらしく有り難い。実際、私の音楽人生の中で存じ上げている方々が多く、助けていただいている方々も多く、表現に関わっている人達の割合も高い。いや、表現に関わる、という言葉は正確ではありません。すべての人は生きている現場で表現をしているわけです。みな同格。
楽屋では、フライヤに書いた文章の説明をしました。みな同格、ということ。そしてインプロビゼーションということを話します。面白かったのは、1部と2部の間の休憩で、ひとたび楽屋に戻ったバールさんは「I want to feel people」と言ってすぐに下に降りていきました。私はと言うと「I want to feel silence」と言って残りました。私もいつの日か、peopleと言う日がくるのでしょうか?
肝心の演奏はごく自然に流れていきました。音楽や技術は自分一人で勉強したり、経験したりして行けば良いのです。共演から音楽や技術を学ぶわけではなく、共演からは人間を学ぶのです。人生を学べば良いのでしょう。そして十分学びました。そしてそれはこの場にいた人達に伝わっているのです。その様子がみえるようでした。
さて、今日はこれから京都です。車両が小さくなった新幹線、助手席が倒れなくなったタクシーなど、移動の困難は増えていますが、それに優る時間が流れることは確実です。心と体を開いて、張り切っていきましょう。