ボルヘスの庭vol.2(ストライプハウスギャラリー)
ストライプハウス。ずいぶん昔に元藤燁子さんとご一緒したことがありました。オーナーの塚原さんは元藤さんと親しかったので、再会するや、さまざまな昔話が嬉しいものでした。土方さん(「将軍」はすぐそば)、寺山さん、手塚さん、などの名前。六本木もずいぶん変わりました。(芋洗坂の再開発で近々このギャラリーもクローズだそうです。)銀座資生堂で1ヶ月間毎週、元藤さんとデュオをやりました。5回あったその3回目に塚原さんは観に来られたそうです。その2日後に元藤さんは急死。(残りの2回、私ひとりでやりました。)
昼夜2回の公演。ボルヘス研究の内田兆史さんが翻訳・朗読(昔、モンティベルディなどを歌っていたそうです。リハの時はホーミーも披露)、マイムの沢のえみさんも初顔あわせ。
私は、いろいろなジャンルの人達とのセッションを随分長くやってきています。失敗もたくさんありました。そんな経験を活かせればということで、私が担当する演目では、叩き台を提案しました。自己満足に終わらないよう、自己コピーに陥らないよう、「即興」に夢をもちすぎないよう、知らない自分にであって嬉しい驚きをもてるよう、注意点はさまざまあります。旦那の義太夫にならないよう、インテリやエリートの会にならないよう願い、共演者に伝えるべく工夫をしました。
朗読者も声という楽器をつかうミュージシャンとして捉える、とすれば、逆に、ミュージシャンも朗読することも必要になります。恥ずかしがっている場合じゃありません。
長浜奈津子さんとのデュオの時にふと出た言葉「私だ」。これはアンゲロプロスの「シテール島への船出」にある台詞です。役者のオーディションの時に全員に「私だ」と言わせるシーンがありました。そして自身の父親が長い逃亡生活から帰ってきて言う台詞が「私だ」。この一言こそ本物の「詩」だな~と思いました。吉田一穂さんの「山中の塩」という一言の詩もあることだし。こういう詩には音はいりません。
私が詩祭(野村喜和夫さんと参加)でメキシコシティに行ったとき世話になった高際さんが内田さんと学会仲間であることがわかったり、高際さんの紹介による「風の器」との共演がその日に決まったり、昼夜公演の合間に小山利枝子さんの個展へ行ったり、曼荼羅のような日でした。
アルゼンチン大使館の文化担当者が「ボルヘスへのオマージュの会はたくさんありますが、ありきたりの会で無く、新鮮な試みを伴って、ボルヘスの謎を謎のまま提示したのが大変良かった」というお褒めの言葉も嬉しいものでした。(彼はフランソワ・ラバトのファンだということで、私のCDもたくさん買って帰りました。)